SSブログ
1987年7月~9月 ブログトップ
前の10件 | -

どうする? [1987年7月~9月]

作詞:橋本淳 作曲:筒美京平 編曲:船山基紀 '87年9月11日(金)発売 歌:田原俊彦
http://www.uta-net.com/user/phplib/view_0.php?ID=3206
昨年6月21日にデビュー30周年を迎えた田原俊彦が本日、50歳になった。
これまで彼には数多くのターニングポイントがあったが、1987(昭和62)年からはフジテレビ系のドラマで俳優としての活動が目立ってきた。
8月3日~9月21日までの全8回、月曜21時台に放映された「ラジオびんびん物語」主題歌の「どうする?」は'87年9月11日発売。オリコン最高位3位、100位以内登場6週、売上6.5万枚。12月5日には自身唯一の12インチシングルとして同曲が発売。こちらは最高位60位、100位以内登場5週、売上1.0万枚。
田原氏といえば、よくコロッケに笑い方、そして少年の甘さが残る不安定な歌唱力をものまねされているイメージがあるが、'86年頃からは過去のヒット曲を歌う時も含め、ビブラートを使った歌い方を会得しており、外見とともに男らしさが増した。昨年、デビュー30周年記念のセルフカヴァーベストアルバムをリリースしているので、当時の田原氏を知らない世代の方々にも、当時のベストと、セルフカヴァーのベストの両アルバムを聴くことをお勧めする。
「どうする?」は当初、6月21日の発売予定だったが、歌詞に“入れてよ”等の卑猥な表現があるとして発売延期になり、「さようならからはじめよう」に差し替えられた経緯がある。
その間、所属レコード会社は「キャニオンレコード」から「ポニーキャニオン」に変わり、同社を含むフジサンケイグループは統一ロゴとして、皆様おなじみのあの目玉マークを取り入れた。
「ラジオびんびん物語」は文字通りラジオ局を舞台とするドラマ。田原氏演じる徳川龍之介と野村弘伸演じる榎本英樹による絶妙の掛け合いで人気を集め、その後2人が「教師びんびん物語」「教師びんびん物語Ⅱ」といったドラマを同じ役名で共演するきっかけとなった。
ドラマは徳川と榎本がラジオ局の営業マンとしてドタバタ劇を繰り広げる内容で、シリーズ平均視聴率は17.7%。ニッポン放送が舞台である事から実際に放送されていた同局の番組宣伝がドラマ内で行われたほか、同局の看板アナウンサーである上柳昌彦もキャストに名を連ね、複数回出演していた。さらにはニッポン放送のイメージキャラクターでもあった南野陽子が「ナンノこれしきっ! スペシャル」(実在した番組ではあるが、「スペシャル」は劇中番組であり架空のもの)に出演するという設定でゲスト出演している。

このCDの11曲目に収録

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

野性の風 [1987年7月~9月]

作詞:川村真澄 作曲:筒美京平 編曲:久石譲 '87年7月1日(水)発売 歌:今井美樹
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=37505
昨夜NHK総合でオンエアされた「SONGS」は今井美樹の第一夜。久々に「野性の風」を歌ったので、取り上げてみることにした。
すでに女優デビューしていた今井さんが「黄昏のモノローグ」で歌手デビューしたのは昭和61年5月21日。12月1日の1stアルバム『femme(ファム)』をはさみ、次にシングルをリリースしたのは62年7月1日発売の「野性の風」。楳図かずおの漫画が原作の映画「漂流教室」主題歌に起用され、オリコン最高位24位、100位以内登場14週、売上5.6万枚とスマッシュヒット。Album Remixとして10曲目に収録した9月21日発売の10曲入り2ndアルバム『elfin』は最高位5位を記録し、第29回日本レコード大賞で優秀アルバム賞を受賞。
これが翌年、6月21日発売の3rdアルバム『Bewith』の1位獲得、さらには8月17日発売の「彼女とTIP ON DUO」のTOP10入りという、歌手としての大きな飛躍の礎となった。
「野性の風」の作詞は初期の久保田利伸の楽曲を主に手がけていた川村真澄。作曲は歌謡曲の大御所である筒美京平。そして編曲は「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」等の映画音楽で知名度を上げつつあった久石譲。ストリングスの音色を聴くだけでは“久石サウンド”とはわからないかもしれないが。その後平成元年12月6日発売の1stベストアルバム『Ivory』の7曲目にもAlbum Remixで収録。16年6月16日発売の6thベストアルバム『IvoryⅢ』には千住明の編曲で生まれ変わり、2曲目に収録されている。

このCDの7曲目に収録

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

すごい男の唄 [1987年7月~9月]

作詞:仲畑貴志 作曲・編曲:服部克久 '87年7月10日(金)発売 歌:三好鉄生
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=35683
昨日のbayfm「MUSIC SALAD」で、リスナーが番組の最後に聞きたい曲投票(通称“サラドレ”)で1位になり、オンエアされた曲が「すごい男の唄」。昭和62年の今日発売された。やはり今日と同じ金曜日だった。
この曲を歌っていたのは自ら出演した「新グロモント」(当時は中外製薬で今はライオンが扱っている)のCMソングでもあるデビュー曲「涙をふいて」(昭和57年)で知られる三好鉄生(現在の芸名は「三貴哲成」。読み方はどちらも“みよしてっせい”)。作詞はコピーライターの仲畑貴志で、作・編曲は日本を代表する音楽家の服部克久。サントリー生ビールのCMソングとして大量オンエアされたが、意外にもセールスはパッとせず、オリコン最高位85位、100位以内登場5週、売上1.0万枚。
実に単純なメロディーであるのだが、1コーラスで30秒CMにピッタリ収まるようになっているのがすごい。15秒CMでは♪ビールをまわせ~からで、これまたピッタリ。♪私が二番 アッドンドン~はCMでは♪サントリービール アッドンドン~と歌われている。
では、歌ってみましょう。
♪すーごーいおっとこがいったもんだー うーみーでバッターリでーあーったらー サーメーがごーめんとなーみだーぐむー ビールーをまーわせー そっこまでのーもーうーーー あーんたーがーいっちばーんーー わったしはーにーばんーーー アッドンードンー!
このCMが流れていた当時、私はこんな替え歌を作った。
♪すーごーいおーんなだリッサボンター~
リサ・ボンダーとは当時女子テニス界のトッププレーヤー。
でも、昭和62年の今頃って、アサヒビールから「スーバードライ」が発売され、ビール業界に劇的な革命を起こしたんだよね。それまでのキリンビールの独り勝ちから、今ではキリンとアサヒがシェアで拮抗するまでになった。「スーパードライ」の初代CMキャラクターは作家の落合信彦だった。男性向け雑誌「スコラ」で、「ブタは死ね!」というタイトルのコラムを毎号連載していた。

このCDの1曲目に収録

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

ロンリー・チャップリン [1987年7月~9月]

作詞:岡田冨美子 作曲:鈴木雅之 編曲:村松邦男、鈴木雅之 '87年7月1日(水)発売 歌:鈴木聖美with RATS & STAR
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=36211
鈴木聖美が「シンデレラ・リバティ」で正式にデビューしたときは、同曲が三浦百恵作詞、Annei(アン・ルイス)作曲ということだけでなく、聖美氏が34歳のシングルマザーである(今は再婚している)ことでも話題を呼んだ。デビューからの3作目までは弟の鈴木雅之がリードヴォーカルを務めるRATS & STARの
サポートを受けていた。昭和62年4月1日発売の「シンデレラ・リバティ」、7月1日発売の「ロンリー・チャップリン」、11月21日発売の「TAXI」までのアーティスト・クレジットは「鈴木聖美with RATS & STAR」なのだ。
5月2日発売の10曲入り1stアルバム『WOMAN』には、先行シングルとしてリリースした「シンデレラ・リバティ」が1曲目に収録されており、2曲目の「ロンリー・チャップリン」と4曲目の「TAXI」がその後シングルカットされた。今日は「ロンリー・チャップリン」を紹介する。
他の2作と違うのは、姉弟がデュエット形式で歌っているところ。この曲で聖美氏はアーティストとして認知されたと言えるだろう。この曲はその後、デュエットソングのスタンダードナンバーになっていく。オリコンチャートでは7月13日付で62位に初登場。最高位は9月28日付の18位、100位以内登場29週、売上11.5万枚。
曲の構成は、Aメロの前半が男性、後半が女性パート。Bメロは♪ロンリー・チャップリン♪がユニゾンで、後は女性パート。サビの♪少年のように~はハーモニーが中心になり、♪あなたの帰る場所は♪と♪Oh,Do what you wanna do again♪の1回目は女性パート。2コーラス目もパート割りは同じ。
続いて、B面の「もしかして、I love you」の話をしよう。
RATS & STARがまだ「シャネルズ」を名乗っていた頃、聖美氏がゲストヴォーカルに参加し、「シャネルズ+1」名義で57年8月25日にリリースしたシングルを再収録。作詞はメンバーの田代マサシ。
20歳の頃にソウル・バンドを組み、レコード会社からスカウトされたこともあった聖美氏には5年越しで付き合った恋人がいた。「結婚が女の幸せ」だと思った聖美氏はその恋人と25歳のときに結婚し、後ろ髪を引かれる思いもなく音楽を捨てた。
1男1女に恵まれたが、5年後に離婚。落ち込んでいたとき、弟から「今度、アルバムの中でデュエット曲があるからお姉ちゃん歌ってみない?」と誘われ、母にも「スタジオ行って、パーッと歌ってきてごらん」と言ってくれ、レコーディングしたのが「もしかして、I love you」。57年8月1日発売のシャネルズのアルバム『ソウル・シャドウズ』からの先行シングルの形としたのが同曲の最初のリリース。歌った瞬間、本当に気持ち良く、それまで悩んでたこともパーッと忘れられて、自分の気持ちが無になったという。以降、シャネルズ(翌年に「RATS & STAR」に改名)のコンサートで"お姉ちゃんコーナー"を作ってもらって、大勢の観客の前で歌うようになった。
RATS & STARは60年半ばごろから活動を休止し、田代マサシは「田代まさし」として、同僚の桑野信義とともに、タレントとしての露出が増えた。
雅之氏は「ガラス越しに消えた夏」でソロデビューした61年、「お姉ちゃんの娘も1年生になるし、そろそろ本格的にやってみないか」と聖美氏に持ちかけた。母も「34歳なんだけど、お前も女なんだしね、もう1回パッと華を咲かせてごらんよ」と言ってくれたことが、夢だったデビューにつながり、活動休止していたRATS & STARも最初の1年は集結して聖美氏をサポートした。
聖美氏が第20回全日本有線放送大賞で上半期最優勝新人賞を受賞したり、「ロンリー・チャップリン」のヒットでテレビ出演が多くなると、娘は夜の遅い番組はビデオに録画して、翌日、学校から帰ってくるとそれを見て、「ママ、昨日はアガッてたね」とが「ヘンな歌い方だった」とか言われると、「今度はかっこいいところを見せてやる」という気持ちになれたという。

このアルバムの2曲目に収録

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

雪椿 [1987年7月~9月]

作詞:星野哲郎 作曲:遠藤実 編曲 斉藤恒夫 '87年6月25日(木)発売 歌:小林幸子
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=31987
昭和62年、小林幸子は独立し、個人事務所「幸子プロモーション」を設立した。以前は地下鉄外苑駅前近くにあったが、今は赤坂に移転している。
独立後の第1弾として6月25日に発売されたこの曲は2年以上もチャートインするロングセラーになり、代表作の一つとなった。同年、翌年と2年続けて紅白歌合戦でこの曲を歌う。63年の時は紅組のトリだった。オリコン最高位23位、100位以内登場104週、売上40.5万枚。
幸子氏の故郷、そして作曲を手掛けた遠藤実の疎開地である新潟の景色を織り交ぜながら、辛抱する女性の強さを雪椿に例えている。このロングヒットで、続くシングル「福寿草」が発売されたのは平成元年2月25日になるのだが、これも星野氏の作詞、遠藤氏の作曲、斉藤氏の編曲である。
紅白で3度目となる「雪椿」の歌唱は平成16年。この年は10月23日に新潟県中越地震が起き、多くの被害が出た。紅白では毎回派手な衣装で話題を提供する幸子氏は県民感情を考慮してこのパフォーマンスを封印し、大トリを務めた紅白歌合戦では着物姿でこの曲を歌った。
12月5日に55歳の誕生日を迎えた幸子氏だが、その翌日、遠藤氏が76歳でこの世を去った。今年、紅白連続30回目の出場となる幸子氏は、おそらくこの曲を歌うだろう。

このCDの2曲目に収録



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

禁断のテレパシー [1987年7月~9月]

作詞:秋元康 作曲・編曲:後藤次利 '87年8月31日(月)発売 歌:工藤静香
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=55093
ソロデビューから20年を迎えた工藤静香の1stシングル「禁断のテレパシー」を取り上げる。当時は会員№38として在籍していたおニャン子クラブにとどまらず、同グループの生稲晃子(会員№40)、斉藤満喜子(会員№42)とともに別ユニット「うしろ髪ひかれ隊」として活動していた。
おニャン子クラブが国立代々木競技場第一体育館で解散コンサートを行ったのが昭和62年9月20日。このグループを生み出した番組「夕やけニャンニャン」は8月31日にひと足早く終了したが、その最終回当日に静香はソロデビューを果たした。
作詞はおニャン子クラブの仕掛け人で、メンバーのソロ作品を含め大半を手がけた秋元康、作・編曲は以降も多くの作品を静香に提供した後藤次利。かっこいい曲に仕上がり、静香の将来性の高さを感じさせた。
9月14日付のオリコンチャートで初登場1位をマーク。100位以内登場は8週、売上14.6万枚。ちなみにうしろ髪ひかれ隊の2ndシングル「あなたを知りたい」は8月12日に発売され、2位→3位→11位と推移し、この週も11位。
バックバンドとコーラスを従え、それまでのアイドルとは一線を画した本格的なスタイルだった。「ザ・ベストテン」で歌ったときに、サビ部分で足を滑らせたのを覚えている。
どういう曲ができると思ったかについて、「オリコン・ウィークリー」8月31日号でのインタビューで静香はこう答えている。
「やっぱり何か…私ね、かわいくなれないから(笑)、ブリブリっていう感じのは絶対こないなって思ったの。そういうの嫌だし。ホント歌いたいような歌がきてね、凄い恰好いいから良かった」
B面の「愛が痛い夜」(http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=55069)についても、
「好きー。詞が凄いでしょー(笑)。もうB面もメチャクチャ恰好良くて好きだなー。ホント、曲とかにも恵まれてるなって思う」

この2枚組CDのDISC-1の1曲目に収録


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

50/50 [1987年7月~9月]

作詞:田口俊 作曲:小室哲哉 編曲:船山基紀 '87年7月7日(火)発売 歌:中山美穂
今日も1987年、第2回世界陸上が行われていた頃のヒット曲を紹介する。
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=36238
中山美穂10枚目のオリジナルシングル「50/50」。読み方は「フィフティー・フィフティー」。「「C」」でデビューしてからこの曲までの美穂ちゃんは声が初々しかった。オリコン最高位は前作の「派手!!!」に引き続いて2位。100位以内登場15週、売上21.1万枚。
同時期に南野陽子の「パンドラの恋人」がヒットしていたが、作詞はこの曲と同じ田口俊。作曲はこの年、自身がリーダーを努める「TM NETWORK」がブレイクした小室哲哉。前年にはやはり美穂ちゃんに「JINGI・愛してもらいます」を提供している。
小室さんが編曲したわけではないので、曲を聴いてみる限りでは彼のカラーは感じられない。ブレイク前からアイドルを中心に曲を提供していたが、この頃、まさか’90年代に一時代を築くなんて誰が想像しただろうか。
美穂ちゃんはデビュー作となったドラマ「毎度おさわがせします」のイメージを引きずったまま歌手デビューし、年齢の割には大人っぽい顔をしているので“ツッパリ”のイメージで見られていた。しかしキャリアを重ねていくごとにそのイメージは消えていき、今で言うJ-POPのテイストを歌えるシンガーに成長していったことを「50/50」を聴いて実感した。

このCDの10曲目に収録


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(1) 
共通テーマ:音楽

Marionette [1987年7月~9月]

作詞:氷室京介 作曲・編曲:布袋寅泰 '87年7月22日(水)発売 歌:BOφWY
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=36288
今日は1987年、第2回世界陸上がローマで行われていた頃のヒット曲、BOφWYの「Marionette」を取り上げる。
前年、人気を不動のものとしたBoφWYは、8月3日付のオリコンチャートで初登場1位、売上24.4万枚、100位以内登場18週を記録したこの曲のヒットでその座をさらに確固たるものとし、日本一のロックバンドの名をほしいままにしようとしていた。それだけに年末に解散宣言したのは衝撃だった。
この曲では1コーラス後のギターソロ部分だけが転調してドとファだけにシャープがつき、あとはド、レ、ファ、ソ、ラが#である。
イントロは「clevr clever」と言っているのかな? 直後の♪レミーレドシラファファシー~と鳴らされる布袋寅泰のギター。ノーマルなファに続いて1オクターブ上がるファがよりリズムを軽快にさせている。
1コーラス目が終わった後、♪レーードーシーラシラファラー~と奏でられるギターソロもとにかくかっこいい。
氷室京介の詩も軽快で、1コーラス単位で見比べてみると、英語部分に韻を踏んでいる。
このバンドにあこがれてデビューを果たすロックバンドが多数出現するほど、BoφWYは日本のロック史に偉大な足跡を残した。

このCDの16曲目に収録


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

ウェディングドレス [1987年7月~9月]

作詞:秋元康 作曲:高橋研 編曲:佐藤準 '87年8月21日(金)発売 歌:おニャン子クラブ
http://www.uta-net.com/user/phplib/view_0.php?ID=46557
昭和62年8月31日は「夕やけニャンニャン」最終回の日だった。同日付のオリコンチャートで1位に初登場したのは、先日このブログでも紹介した光GENJIのデビュー曲「STAR LIGHT」だった。
一方、2位に初登場したのが、「セーラー服を脱がさないで」でデビューしたおニャン子クラブの9枚目、ラストシングルとなる「ウェディングドレス」。3枚目の「じゃあね」以降初登場1位をマークし続けてきたが、売上枚数は徐々に下がっていった。
8枚目の「かたつむりサンバ」リリース前に解散を発表。この曲の売上は7.2万枚とついに10万枚を割った。そしてラストシングルとなった「ウェディングドレス」は1位になれず。週間推定売上枚数(単位10枚)は4万2490枚で、6万5530枚の「STAR LIGHT」とは大きく差が開いた。アイドル界の新旧交代を告げるチャートだったと言える。最終的な売上は9.0万枚、100位以内登場7週。
2コーラス目のAメロの歌詞がいいね。今はあまり見なくなったけど、結婚式を終えたカップルが「新しい世界へ旅立っていく」という意味でオープンカーの後部に空き缶をいっぱいつけてガラガラさせながら式場を後にするシーンだよ。
「STAR LIGHT」と「ウェディングドレス」。皮肉にも両曲は編曲が佐藤準、レコード会社は「キャニオンレコード」から商号変更したばかりの「ポニーキャニオン」だった。
編曲の佐藤氏は前年、チャゲ&飛鳥のキャニオン移籍第1弾「モーニングムーン」と第4弾の「指環が泣いた」を担当。キャニオンといえばやはり前年、とんねるずが移籍してきており、当時一番勢いがあるレコード会社だったといえる。
おニャン子クラブは9月20日、代々木第一体育館でファイナルコンサートを行い、正式に解散した。「セーラー服を脱がさないで」でデビューしてからたった2年ちょっとの間に各メディアへ起こした旋風は、その後デビューする女性アイドルグループの大きなビジネスモデルとなった。今活躍している「AKB48(エーケービーフォーティエイト)」は「会いに行けるアイドル」をキャッチフレーズに、おニャン子クラブ同様やはり秋元康が仕掛けたグループだ。AKB48は毎日何人かのメンバーが秋葉原の同グループ専用シアターでライヴをしている。おニャン子クラブとの共通点は「クラスの隣の女の子がある日突然、ステージに立っている」という“普通の女の子”感覚をファンが抱けることだろう。

このCDの9曲目に収録


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

輝きながら… [1987年7月~9月]

作詞:大津あきら 作曲:鈴木キサブロー 編曲:川村栄二 '87年7月5日(日)発売 歌:徳永英明
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=37017
昨日、NHK総合で放送された「SONGS」は徳永英明特集だった。ハスキーヴォイスが特徴であるデビュー22年目のシンガーは一昨年から女性アーティストのヒット曲をカヴァーしたアルバムをリリースするようになり、これが大好評。第3弾で最終章の「VOCALIST 3」が8月27日付のオリコンアルバーチャートで初登場1位をマークした。改めて彼の魅力が注目されている。
昭和61年1月21日、「レイニーブルー」でデビュー。4枚目のシングル「輝きながら…」は徳永さん本人が書いた曲ではないが、当時のトップアイドル、南野陽子が出演した「フジカラー」のCMソングに起用されて大ヒット、徳永さんの出世作となった。オリコン最高位4位、100位以内登場27週、売上28.6万枚。
調べて気付いたが、編曲は川村栄二だったんだね。堀内孝雄の曲では大半を手掛けている。映画音楽を担当することもある。
「ザ・ベストテン」といえば、ユニークな演出をした数多くの場面が頭に浮かぶが、この曲では後に多数の老人が帽子をかぶった状態で座っていて、サビの♪輝きながら~と歌うところで、全員が帽子を取りピカピカに光った頭を露出させた。
ごめんね、こんなにいい曲なのに、どうしてもその演出のインパクトがあまりにも強烈で。

このCDの4曲目に収録


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽
前の10件 | - 1987年7月~9月 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。