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Oh! Yeah!/ラブ・ストーリーは突然に [1991年1月~3月]

作詞・作曲・編曲:小田和正 '91年2月6日(水)発売 歌:小田和正
Oh! Yeah!…http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=37779
ラブ・ストーリーは突然に…http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=35697
「東京ラブストーリー」から早くも20年がたった。1991(平成3)年1月7日から3月18日までのフジテレビ系月曜21時台、通称“月9”ドラマ初期の代表作だ。
ドラマはスポーツ用品メーカー「ハートスポーツ」に勤務する事業部の赤名リカ(鈴木保奈美)、営業部の永尾完治(織田裕二)によるラブストーリー。他の主なキャストは関口さとみ役に有森也実、三上健一役に江口洋介、長崎尚子役に千堂あきほ。ハートスポーツ営業部長の和賀夏樹役に西岡徳馬、同じく営業部員で永尾の同僚となる渡辺役に中山秀征。
原作では主に完治の視点を中心に展開したが、ドラマではリカを中心にすえ、彼女の心情を描いた。プロデューサーの大多亮(おおた・とおる)によると、主演が決まっていた鈴木に自分が演じる役をさとみとリカから選ばせたところ、リカと即答したという。また、リカの性格や行動は原作とは大きく違う点も多い。また、企画段階では完治、三上役にはそれぞれ緒形直人、本木雅弘が予定されていたが諸般の事情で織田、江口に変更となった。
同級生の完治、健一、さとみ、尚子。完治を「カンチ!」と呼ぶ帰国子女のリカは自由気ままに生き、まっすぐに恋をする。最初は戸惑っていた完治もそのまっすぐなリカに惹かれるが、やがてその恋は思わぬ方向に向かう。
「月曜日の夜に街から女性が消えた」と言われるほど当時は若い女性に支持された。タイトルバックは、大都会を象徴するような場所(駅、交差点など)で、出演者が人ごみの中で様々な日常生活を営む光景を切り取ったもので、MTVのプロモーションビデオを意識した映像センスは当時としては斬新なものであった。平均視聴率は22.9%、最高視聴率は最終話の32.3%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。
保奈美姉ぇと裕二兄ぃは「東京ラブストーリー」を経て、ドラマの主演級としての評価を確立した。一方でさとみ役の有森也実はリカのサバサバした気性とは対照的なその役柄から女性視聴者から嫌われ、所属事務所に脅迫状まで届いた、と後に本人が語っている。
主題歌で小田和正が歌ったのが「ラブ・ストーリーは突然に」。2月6日に発売され、オリコンチャートでは2月18日付の初登場から4月1日付まで7週連続1位を獲得。100位以内登場44週、売上258.8万枚。当時の日本におけるシングルCDで最大のヒットとなった。
ドラマのストーリーと非常にマッチした楽曲で、タイトルバックと主題歌でドラマの世界観を表現する手法はその後の月9の主流となったのみならず、'90年代以降のテレビドラマに大きな影響を与えた。
ドラマの音楽を担当したのは日向敏文。アルバム『東京ラブストーリー オリジナル・サウンドトラック』も発売された。テレビドラマのサントラが発売されるのは当時では極めて珍しいケースであった。このアルバムは好調な売り上げを記録し、以後人気ドラマのサントラが発売されるのが恒例となった。
「ラブ・ストーリーは突然に」はシングルCDの2曲目に収録されており、1曲目の「Oh! Yeah!」とはレコードでいうところの両A面扱い。
そのため、オリコンでは「Oh! Yeah!/ラブ・ストーリーは突然に」と併記されており、現在でも、CD販売サイト・小田和正の公式サイトなどでは併記されている。「Oh! Yeah!」は小田氏出演の第一生命のCMソング。
CD自体、ジャケット仕様など両A面のつくりをしている(裏表同じ写真が使われ、そこに同じ様式でそれぞれの曲名が記載されている)。CDの背表紙にも、両曲が併記されている。
フジテレビとレコード会社のファンハウスは、「ラブ・ストーリーは突然に」をA面曲として強くアピールし、販売数につなげたいという意向が強かった。特にフジテレビ側より、ドラマ主題歌の「ラブ・ストーリーは突然に」をA面にするよう強い要請があったが、小田氏は思い入れの強い「Oh! Yeah!」をA面にする決心を固めて譲らなかった。対立した意見を仲裁したファンハウスが打開策として両A面を提案したが、小田氏はそのような方法は潔くないと嫌った。しかし最終的には自分が折れることにし、ジャケットの両A面仕様での発売に至った、といういきさつを雑誌に明かしている。
小田氏が主題歌の依頼を受けた際、大多氏から、オフコース時代の「Yes-No」に似た切ない感じの曲が欲しい、というリクエストがあった。しかし、当時ラブソングを歌うことに辟易していた小田氏が初めに作った曲は、大多の期待していたものとは違っていた。大多氏は悩みながらも、小田氏が気分を害するのを覚悟で別の曲を依頼した。すると小田氏は、「1週間もらえれば、ぐうの音も出ないような曲を作る」と宣言し、改めて作り直したのがこの曲だった。
最初に作った曲のほうは『FAR EAST CLUB BAND SONG』と改題され、5月18日発売のベストアルバム『Oh! Yeah!』に収録されている。この曲は'91年3月にフジテレビ系で放送された単発のオムニバスドラマ「ラブストーリーは突然に」(「東京ラブストーリー」とは別)のテーマ曲として使われた。曲のタイトルを冠したドラマに、その曲ができる前のボツ曲が使われたということになるが、ボツ曲を発生させてしまった制作側が、曲を埋もれさせないために、あるいは小田氏をなだめるために企画したドラマだったのではないかとも言われている。
佐橋佳幸のギターのカッティングによる長めのイントロで始まる。ドラマでは、まずオープニングのタイトルバックで流れるが、この時はイントロが長めにカットされ、イントロ終了近くからスタートしている。またオープニングやドラマ途中などで流れていたドラマ用のミックスと、シングル用のミックスは異なったものであり、ドラマ用のミックスでは、ドラム音などは打ち込み音を強調し、楽器音を前面に押し出したミックスとなっており、シングル用のミックスでは、生ドラム音などの楽器の音圧は抑え目になっており、小田氏のボーカルを前面に押し出したミックスとなっている。また、ドラマの中では、歌の部分をインストゥルメンタルに変えたバージョンがBGMとして使われている。そしてドラマ終盤、状況が一変したり、登場人物の心境が大きく変わったりするストーリーの山場で、ギターのカッティングから始まるこのイントロから歌の部分が挿入された。あのイントロは今でも聴いただけでそれとわかり、ドラマのシーンを思い起こさせる。
ちなみに、ドラマの脚本は坂元裕二だが、松たか子のデビュー曲「明日、春が来たら」('97年3月21日発売)の作詞は坂元氏。そしてたか子ちゃんは2007年、佐橋氏と結婚した。
それまでのテレビドラマでは、主題歌と挿入曲には明確な線引きがあり、主題歌がドラマの中で使われることは少なく、挿入されるとしても、インストゥルメンタルにアレンジされたものがBGM的に使われるだけである場合が多かった。
以降、この手法を受け継いだドラマが民放で量産され、特に同じフジテレビの月9枠から、「101回目のプロポーズ」とCHAGE & ASKAの「SAY YES」('91年)、「素顔のままで」と米米CLUBの「君がいるだけで」('92年)、「やまとなでしこ」とMISIAの「Everything」(2000年)など、ドラマ・主題歌ともにヒットした作品が次々と生まれた。民放のドラマだけでなく、それまで30年間、ヴォーカルのあるテーマ曲を使ったことのなかったNHKの連続テレビ小説が、1992年10月開始の「ひらり」で、DREAMS COME TRUEの「晴れたらいいね」を起用しヒットした。
「ラブ・ストーリーは突然に」のヒット以降、ソロアーティストとしての小田和正も「ヒットメーカー」「ビッグアーティスト」の仲間入りをし、小田氏のもとにドラマ主題歌やCMソングの依頼が相次ぐようになった。
小田氏のコンサートでも、この曲が演奏されるときが最も盛り上がる。何度もコンサートに足を運ぶファンから、初めて来たファンまでを一気に燃え上がらせる瞬間をつくることのできる曲である。小田氏がマイクを持ったまま観客席の中に飛び込んで歌うこともしばしばだ。
小田氏自身がTVに出演することが稀なため、発売当時はテレビ番組での披露はされていなかったが、1991年12月3日にフジテレビ系で放送された「FNS歌謡祭」において、この曲を、メイン会場とは別の会場からの生中継という形で初披露した。この出演が、小田氏のソロ活動開始後の初のテレビ生出演となった。

このCDの12、11曲目に収録

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じゃあね [1986年1月~3月]

作詞:秋元康 作・編曲:佐藤準 '86年2月21日(金)発売 歌:おニャン子クラブ
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=55173
おニャン子クラブの3rdシングル「じゃあね」は1986(昭和61)年2月21日に発売。3月3日のオリコンチャートでグループ初となる1位を獲得。100位以内登場9週、売上28.1万枚はおニャン子がリリースした9枚のシングルの中では最多。
結成間もない頃から、おニャン子の中には未成年なのに喫煙して解雇されたり、芸能界で活動することを認めていない学校の方針で脱退を余儀なくされたメンバーがいた。レコードジャケットには三上千晶(会員番号)と矢島裕子(ゆうこ)(同)も出ているが、学業との両立に支障を来し、発売した頃には2人とも脱退している。
おニャン子のちゃんとした卒業式が行われたのは、「じゃあね」がヒットしていた頃。当時高校卒業を控えていた中島美春(会員番号5)が、ソロ歌手として活動を続ける河合その子(同12)とともに春休みのコンサートでおニャン子から卒業することが発表されていた。
「じゃあね」の詞には、芸能界に残らない中島の人柄に敬意を表した仲間やスタッフによる送別の意味がこめられている。もともとは中島のソロ曲として考えられていたが、おニャン子が出演するフジテレビ系番組「夕やけニャンニャン」のプロデューサーだった笠井一二(かずじ)によると、「彼女はすごくやさしい子で、私のためにこんな曲を出してもらってやめるのはうしろめたいと、そういう部分で悩んでいた」ため、おニャン子クラブとしての歌になった。
そういった意図をスタッフから聞いた河合は自ら引き、レコードジャケットには出ていない。ただし、「夕やけニャンニャン」では3月3日に卒業証書が授与されたとき、河合は卒業式で中島と並んで歌い、中島最後の出演となった同局の「夜のヒットスタジオDELUXE」でもバックで歌い、中島を仲間として送り出している。
3月31日には日本武道館で第1回卒業式とコンサートが行われ、翌日の「あぶな~い課外授業」1日3回公演をもって中島と河合はおニャン子から卒業した。
中島の卒業の理由は「歯科衛生士になるため」と説明されていたが、'90年代後半に入ってからのおニャン子復活関連イベントには顔を出し、その後、とんねるずのマネージャーで夕ニャンの出演者でもあったボブこと市川兼司と結婚した。

このCDの曲目に収録

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どうする? [1987年7月~9月]

作詞:橋本淳 作曲:筒美京平 編曲:船山基紀 '87年9月11日(金)発売 歌:田原俊彦
http://www.uta-net.com/user/phplib/view_0.php?ID=3206
昨年6月21日にデビュー30周年を迎えた田原俊彦が本日、50歳になった。
これまで彼には数多くのターニングポイントがあったが、1987(昭和62)年からはフジテレビ系のドラマで俳優としての活動が目立ってきた。
8月3日~9月21日までの全8回、月曜21時台に放映された「ラジオびんびん物語」主題歌の「どうする?」は'87年9月11日発売。オリコン最高位3位、100位以内登場6週、売上6.5万枚。12月5日には自身唯一の12インチシングルとして同曲が発売。こちらは最高位60位、100位以内登場5週、売上1.0万枚。
田原氏といえば、よくコロッケに笑い方、そして少年の甘さが残る不安定な歌唱力をものまねされているイメージがあるが、'86年頃からは過去のヒット曲を歌う時も含め、ビブラートを使った歌い方を会得しており、外見とともに男らしさが増した。昨年、デビュー30周年記念のセルフカヴァーベストアルバムをリリースしているので、当時の田原氏を知らない世代の方々にも、当時のベストと、セルフカヴァーのベストの両アルバムを聴くことをお勧めする。
「どうする?」は当初、6月21日の発売予定だったが、歌詞に“入れてよ”等の卑猥な表現があるとして発売延期になり、「さようならからはじめよう」に差し替えられた経緯がある。
その間、所属レコード会社は「キャニオンレコード」から「ポニーキャニオン」に変わり、同社を含むフジサンケイグループは統一ロゴとして、皆様おなじみのあの目玉マークを取り入れた。
「ラジオびんびん物語」は文字通りラジオ局を舞台とするドラマ。田原氏演じる徳川龍之介と野村弘伸演じる榎本英樹による絶妙の掛け合いで人気を集め、その後2人が「教師びんびん物語」「教師びんびん物語Ⅱ」といったドラマを同じ役名で共演するきっかけとなった。
ドラマは徳川と榎本がラジオ局の営業マンとしてドタバタ劇を繰り広げる内容で、シリーズ平均視聴率は17.7%。ニッポン放送が舞台である事から実際に放送されていた同局の番組宣伝がドラマ内で行われたほか、同局の看板アナウンサーである上柳昌彦もキャストに名を連ね、複数回出演していた。さらにはニッポン放送のイメージキャラクターでもあった南野陽子が「ナンノこれしきっ! スペシャル」(実在した番組ではあるが、「スペシャル」は劇中番組であり架空のもの)に出演するという設定でゲスト出演している。

このCDの11曲目に収録

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レイニーブルー [1986年1月~3月]

作詞:大木誠 作曲:徳永英明 編曲:武部聡志 '86年1月21日(金)発売 歌:徳永英明
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=36209
1月21日にデビュー25周年を迎えた徳永英明が本日、50歳になった。
1985(昭和60)年8月、マリンブルー音楽祭でグランプリを受賞したことがデビューのきっかけ。同年10月、東郷神社特設ステージにて行われたロックミュージカル「はらじゅくグラフティ」にトニー役で出演。トニー役オーディションではTRFのSAMとも競い、合格する。'86年4月15日に設立されたファンクラブ「トニーズクラブ」はここからきている。
1986(昭和61)年1月21日、シングル「レイニーブルー」と、同曲を収録した11曲入りアルバム『Girl』が発売され、デビューを果たした。24日には新宿ルイードでデビューライブを行う。
アルバムには1曲目に収録の「レイニーブルー」は徳永氏がバイト先の軽井沢で知り合った大木誠とともにつくり上げた。編曲は当時頭角を現していた武部聡志。プロデュースは秋谷銀四郎。
発売にあたり、歌詞が一部変更された。元の歌詞のヴァージョンはライブで歌われることがあり、1990年に発売されたライブアルバム『徳永英明Live』で聴くことができる。当時のオリコンチャートでは最高位90位、100位以内登場2週、売上0.4万枚というものだったが、'87年リリースの4thシングル「輝きながら…」の大ヒットで過去の作品、その後発売されたベストアルバムが売れ、「レイニーブルー」は高い知名度を誇る曲となった。
'97年にはアレンジし直され、「Rainy Blue~1997 Track~」として再リリースされた。c/wはここでも「奇跡のようなめぐり逢い」(作詞:竹花いち子)で、ともに編曲は瀬尾一三。

このCDの1曲目に収録

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今夜はエンジェル~Tonight is what it means to be young~ [1986年1月~3月]

作詞・作曲:JIIM STEINMAN 日本語詞:椎名恵 補作詞:三浦徳子 編曲:戸塚修 '86年1月1日(水)発売 歌:椎名恵
http://www.uta-net.com/user/phplib/view_0.php?ID=42783
椎名恵のデビュー曲「今夜はANGEL~Tonight is what it means to be young~」は、1986(昭和61)年1月1日に発売された。ストリート・オブ・ファイヤー(1984年のアメリカ映画)の作中曲「今夜は青春(Tonight Is What It Means to Be Young)」を元にした曲である。
大映テレビが製作し、'85年12月4日から'86年4月16日にフジテレビ系列で水曜日の20時台に計18回放映された放映されたドラマ「ヤヌスの鏡」主題歌。オリコン最高位7位、100位以内登場21週、売上26.4万枚。
椎名氏は本名が及川千沙。'81年10月4日、ヤマハ音楽振興会が主催する第22回ヤマハポピュラーソングコンテストにおいて「及川ちさ」名義で出場し、「好きよあなた」で川上賞を受賞する。
「今夜はANGEL」のレコードジャケットは逆光で顔がよくわからない写真が使われたことから、テレビ初出演となったフジテレビ系「夜のヒットスタジオDELUXE」では、後ろを向かされた姿が最初に映し出された。 TBS系「ザ・ベストテン」第423回にも同曲で出演した。
元々バックコーラスを務めていたが、透き通った高音から深みのある低音までを使い分ける歌の上手さを認められてソロデビューした。表現力が豊かで、アップテンポな曲も静かなバラードもこなせる。
「今夜はANGEL」のヒット以降も、「愛は眠らない」「LOVE IS ALL」と日本語カヴァーが続き、その後も多くのドラマやアニメの主題歌、CMソングを歌った。
現在はシンガーソングライターとして、自身の曲にとどまらず、他の歌手へ詞を提供しており、ボイストレーナーとしても後進指導に当たっている。

このCDの1曲目に収録

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DESIRE [1986年1月~3月]

作詞:阿木耀子 作曲:鈴木キサブロー 編曲:椎名和夫 '86年2月3日(月)発売 歌:中森明菜
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=36367
中森明菜15枚目のシングル(7インチ盤としては14枚目)「DESIRE」は1986(昭和61)年2月3日に発売された。2月17日付のオリコンチャートで1位に初登場。100位以内登場18週、売上51.6万枚。前年の「ミ・アモーレ」に続き、第28回日本レコード大賞を受賞した。'86年の年間シングルチャートでは2位を記録。自身初のCMタイアップがついたシングル曲(パイオニア「PRIVATE CD 500AV」のCM)である。
TBS系音楽番組「ザ・ベストテン」で7週連続第1位、上半期ベストテン第1位、年間ベストテン第2位を記録し大ヒットした。日本テレビ系音楽番組『ザ・トップテン』最終回、『歌のトップテン』第1回でも第1位になった。
第28回日本レコード大賞(1986年)の大賞受賞曲となり、前年度の第27回日本レコード大賞(1985年)の大賞受賞曲「ミ・アモーレ〔Meu amor é・・・〕」に次いで、2年連続で日本レコード大賞を受賞した。
ジャケット裏面・歌詞カードには「このレコードは可能な限り大音量でお聴き下さい。」という注釈がついていた。David Bowieの名盤「ジギー・スターダスト」のジャケットに同じ事が書かれており、ロック色を強く意識していた事が窺える。
シングルレコード初回プレス盤のタイトル表記は「DESIRE」のみで、副題はついていなかったが、再プレス以降、ジャケット裏面・歌詞カードのタイトル表記に「-情熱-」という副題が追加された。しかし当時のテレビの音楽番組では副題を付けない「DESIRE」のみの表記で紹介されていた。アルバム作品に収録されたのは『CD'87』('87年5月1日に発売されたCDのみの企画アルバム)が初で、そこでは「DESIRE-情熱-」の表記、それ以降も全て副題を入れた表記で統一されている。
その後、『true album akina 95 best』('95年12月6日発売)、『Akina Nakamori〜歌姫ダブル・ディケイド』(2002年12月4日発売)、 『BEST FINGER 25th anniversary selection』('06年1月11日発売)といったベストアルバムで新録した。
ボブのウィッグに、着物を洋風にアレンジした独特の衣裳・振りも話題となった。ボブのウィッグ姿自体は前年のコンサートツアー「BITTER & SWEET 1985 SUMMER TOUR」でも披露されていた。明菜ちゃんは着物が好きで、衣装も着物に関するものができたらと思い、歌番組での衣装のデザインも明菜ちゃん自身が意見を出したものであった。レコード大賞連覇直後に出演した第37回NHK紅白歌合戦ではブルーのコンタクトレンズを付けて、白を基調とした着物アレンジで銀髪のボブウィッグという斬新な衣装であった。
サビの後半♪Get up, Get up, Get up, Get up, burning love~が歌い出しだが、“love”部分の強烈な響きで、なおかつ長く保つビブラートはこの頃から明菜ちゃんの歌い方で特徴的なものになってきた。
1コーラス目では上記の英語部分の直前に♪なんてね 淋しい~と歌われるが、“なんてね”と“淋しい”の間の4拍子の歌パートは休符になっており、後年のコンサートツアー等ライヴでは、この部分で観客が「はぁどっこい」という合いの手を入れることが通例となっている。明菜ちゃん自身、そうされることが嬉しいとコメントしている。
作詞は阿木耀子。夫の宇崎竜童とのコンビで数多くのヒット曲を世に送り出した。特に明菜ちゃんの憧れの人である山口百恵の作品が多い。明菜ちゃんは芸能界入りするきっかけとなったオーディション番組「スター誕生!」でも、阿木&宇崎夫妻が作った「夢先案内人」を歌った。
B面の「LA BOHÈME」は作詞が 湯川れい子、作曲が都志見隆。編曲はこちらも椎名和夫。私が明菜ちゃんのB面ソングの中で一番好きだが、B面の中でも人気が高く、当時テレビ番組でもNHK『ヤングスタジオ101』にて振り付きで歌唱された。後年のコンサートツアー等ライブでもよく選曲されている。

この2枚組CDのDISC-2の1曲目に収録

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モーニングムーン [1986年1月~3月]

作詞・作曲:飛鳥涼 編曲:佐藤準 '86年2月5日(水)発売 歌:チャゲ&飛鳥
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=35935
私がチャゲ&飛鳥(現在の表記はCHAGE and ASKA)のファンになったのは、14thシングルで、キャニオンレコード(現:ポニーキャニオン)移籍第1弾となる「モーニングムーン」だ。
1986(昭和61)年2月5日にリリースされた。オリコン最高位11位、100位以内登場17週、売上16.1万枚。10万枚以上の売り上げは3rdシングル「万里の河」('80年9月25日発売)以来であり、当時自身3番目の売り上げ。
シングルヴァージョンでは'86年4月21日発売の10曲入りアルバム『TURNING POINT』の1曲目に収録されているものより、曲の長さが短い。
当時、おニャン子クラブのナンバーを主に手掛けていた佐藤準がコンピューターでアレンジしたロックナンバー。飛鳥はギターを持たずにスタンドマイクだけで歌っており、2コーラス目後の間奏では激しいダンスを披露している。
'87年夏にデビューした光GENJIの初期の作品は、チャゲアスと佐藤氏による楽曲が中心。'86年に移籍してきたとんねるずを含め、キャニオンの黄金時代が築かれつつあった。
元々はアルバムヴァージョンの長さで作成されたが、シングルカットする際に曲が長すぎるという理由で、イントロと2コーラス目後の間奏の一部がカットされたショートサイズになった。アルバムヴァージョンはドラムの音やギター・キーボード等のパートが強調されている。
シングルヴァージョンが収録されているアルバムは『SUPER BEST』('87年3月5日発売)のみで、その後に発売されたベストアルバム等にはロングヴァージョンが収録されている。
チャゲが現在のようにサングラスをするようになったのはこの「モーニングムーン」からである。CHAGE名義で作詞・作曲のB面「Gently」はアルバム未収録曲。

この2枚組CDのDISC-1の8曲目に収録

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バナナの涙 [1986年1月~3月]

作詞:秋元康 作・編曲:後藤次利 '86年1月21日(火)発売 歌:おニャン子クラブ・うしろゆびさされ組
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=38395
おニャン子クラブの高井麻巳子(会員番号16)と岩井由紀子(同19)による派生ユニット「うしろゆびさされ組」による2ndシングル「バナナの涙」は1986(昭和61)年1月21日に発売された。このユニットでは計6枚のシングルを発売したが、すべてのA面、B面がアニメ「ハイスクール!鬼面組」のそれぞれテーマ曲、挿入歌となっている。6月5日発売の10曲入り1stアルバム『ふ・わ・ふ・ら』には2曲目に収録。
2月3日付のオリコンチャートに初登場し、ユニット初となる1位を獲得。100位以内登場12週。売上は6枚中この曲が最多で31.0万枚。
当時、作詞家の秋元康はおニャン子クラブ、とんねるずをメディアの寵児にしたことで「時代の仕掛け人」と呼ばれていたが、同日に発売したとんねるずの「歌謡曲」が1位に初登場し、秋元氏にとっては、自身の作詞作がワンツーフィニッシュする形になった。
B面は「あぶないサ・カ・ナ」で、作・編曲は当時チェッカーズを手掛けていた芹澤廣明。作詞の沢ちひろは高井のソロ作品にも多く関わっている。

このCDの8曲目に収録

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バレンタイン・キッス [1986年1月~3月]

作詞:秋元康 作曲:瀬井広明 編曲:佐藤準 '86年2月1日(土)発売 歌:国生さゆりwithおニャン子クラブ
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=55175
当時、大人気を博していたアイドルグループ「おニャン子クラブ」で中心的存在だった国生さゆり(会員番号8)のソロデビュー曲。バレンタインデーの季節には定番の曲として知られる。私の記憶が正しければ、“withおニャン子クラブ”としてバックコーラスをしていた2人は、白石麻子(会員番号22)、渡辺美奈代(同29)。
「夕やけニャンニャン」やおニャン子クラブの活動を統括していたスタッフらの話によれば、狙って後世に残る定番曲を生み出そうとして作ったわけではなく、またお菓子業界からの要望によって作られたものでもなく、彼女のデビュー時期がたまたまこの時期になったためにバレンタインデーという題材が選ばれたにすぎなかった、とのこと。当時のおニャン子クラブから出す曲は「夕やけニャンニャン」が月曜から金曜までの放送と視聴者の日々の生活に密着していたため、楽曲のテーマ性に季節や行事に沿ったものが多かった。
1986(昭和61)年1月13日、この週最初の「夕ニャン」のそのオープニングに「バレンタイン・キッス」が初公開。さらに同夜のフジテレビ「月曜ドラマランド」で放送されたおニャン子クラブ主演の初ドラマ「ボクの婚約者」のエンディングでもこの曲の歌唱映像は流れる。この日から発売日、そしてバレンタインデーのある週まで彼女が歌う「バレンタイン・キッス」の歌唱映像は、夕方5時台にもかかわらず視聴率が常時10%を軽く越し、全国ネットに近いネット数を持つようになった「夕やけニャンニャン」で毎日流れ、またおニャン子関連の他のテレビ番組やラジオ番組でも後押しされる。このインパクトがいかほどのものであろうか。2月1日に発売され、2月10日付のオリコンでは初登場第2位を獲得、2月14日以後も「ザ・ベストテン」などの人気歌番組にもランキングされ続けて出演して歌うなどこの曲の人気は持続していった。
この曲は毎年バレンタインデーが近づくと、街ではBGMとして持てはやされ、テレビやラジオからは季節感を出すために大量に流れ出す。
50'sのようなオールディーズ・サウンドに乗って、国生さゆりがコニー・フランシスを意識して髪をポニーテールにして歌ったこの曲は誰もが振り返れる思い出へと姿を変えていった。この曲以後もバレンタインデーの歌は作られたが、ついぞこの曲ほどのインパクトを残したものはない。こうして「バレンタイン・キッス」は定番となっていった。近年では2004年2月14日に人気アニメ作品「テニスの王子様」の登場キャラクターである跡部景吾(CV:諏訪部順一)のキャラクターソングとしてカヴァーされ、シングルCDが発売されている(オリコンウィークリーチャートで14位)。その翌年'05年2月5日に「テニスの王子様」の登場キャラクターである同じく忍足侑士(CV:木内秀信)のキャラクターソングとしてもカヴァーされシングルCDが発売されている。どちらも初回生産限定盤としてリリースされたため、発売後すぐに完売となった店が相次いだ、その影響もあり'06年2月1日に同じく初回生産限定盤として再リリースされている。
そしてオリジナルの発売から今年で25年。当時おニャン子クラブをプロデュースしていた作詞家の秋元康が総合プロデューサーを務める大所帯アイドルグループ、AKB48の派生ユニット「渡り廊下走り隊」がさらに2人を加え、“渡り廊下走り隊7”として「バレンタイン・キッス」を本日リリースした。PVの最後のシーンでは7人でハートマークを作っているが、見るとこみ上げるものがある。
昨日、東京都の代々木公園野外ステージで発売記念無料ライブを開催し、3000人のファンが集まった。グループでリーダーを務める平嶋夏海によると、さゆり姉ぇ本人から「かわいらしくブリブリ歌って」とアドバイスを受けたという。全員で「国生さ~ん、私たちと一緒に歌ってください!」とご本家にラブコールを送っていた。

このCDの1曲目に収録
GOLDEN☆BEST/国生さゆり SINGLES

渡り廊下走り隊7の通常盤はこのCDの1曲目に収録


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心の色 [1981年10月~12月]

作詞:大津あきら 作曲:木森敏之 編曲:川村栄二 '81年11月25日(水)発売 歌:中村雅俊
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=35646
俳優として、歌手として第一線で活躍し続けた中村雅俊が今日で還暦を迎えた。
慶應義塾大を卒業した1974(昭和49)年、初主演となったドラマ「われら青春!」の主題歌「ふれあい」がデビュー曲で、126.5万枚の大ヒット。その後も「いつか街で会ったなら」「俺たちの旅」等が次々とドラマの主題歌となり、大ヒット。
そして'82年、「ふれあい」に次ぐビッグヒットとなった曲となったのが「心の色」。本人主演で'81年11月17日~3月23日のTBS系火曜21時台に放映されたドラマ「われら動物家族」は、ドラマは子だくさんの兄の突然の死によって、7人の子供の世話をすることになった、独身の動物園飼育係の、シートン動物記にも似た愛と涙の人間記。
ドラマは当初、堀江淳の「ルージュ」(大ヒットした「メモリーグラス」の次にリリースしたシングル)が主題歌であったが、挿入歌として流れている「心の色」の曲の反響が大きかったので、後にこちらが主題歌に変わった。
「心の色」は'81年11月25日に発売され、'82年になってからヒットした。オリコンチャートでは100位以内登場28週、売上は「ふれあい」に次ぐ69.7万枚。3月1日付で「ふれあい」以来の1位を獲得して、「赤いスイートピー」(松田聖子)の連続1位を3週でストップさせ、3月29日付まで5週連続で1位を保った。年間売上では第4位にランクイン。
この曲のヒット当時、「ザ・ベストテン」(TBS)、日本テレビ「ザ・トップテン」(日本テレビ)といったテレビのランキング番組で1位の座を争っていたのがサザンオールスターズの「チャコの海岸物語」であった。しかし、これが縁でサザンの桑田佳祐は、かつて中村氏に曲を提供し、サザン版の同じ曲がありながらもあまり話題にならなかったリベンジとして、後に中村氏の為に「恋人も濡れる街角」を書き下ろし、大ヒットにとなった。
「心の色」で第15回日本作詞大賞の大衆賞を受賞した大津あきらは慶大では中村氏の2年先輩(中村氏は1年浪人しての入学なので義務教育では1年先輩)で、在学中には慶大でさらに1年先輩のつかこうへいと出会い、「つかこうへい劇団」で数々の舞台劇中歌の作詞・作曲を手がける。大学卒業後も同劇団での劇伴を中心とした音楽活動を継続しており、所属女優の根岸季衣(ねぎし・としえ)と結婚。「心の色」の大ヒットをきっかけにして本格的に作詞家としての活動を始め、
「輝きながら…」「風のエオリア」(いずれも徳永英明)、
「for you...」(髙橋真梨子)、
「AL-MAUJ(アル・マージ)」(中森明菜)、
「DAYBREAK」「秋」「TIME ZONE」「DON'T SLEEP」(いずも男闘呼組)、
「共犯者」「ニューグランドホテル」「ラスト・シーン」(いずも矢沢永吉)
といった作品を提供した。
肺ガンのため昨年、62歳で亡くなったつか氏が手掛けた芝居といえば「蒲田行進曲」が思い浮かぶが、同映画の主題歌が「恋人も濡れる街角」である。
大津氏は直腸ガンのため'97年4月に47歳で死去。実家のあった山口県長門市には大津氏の墓と、「心の色」の歌碑がある。

このCDの8曲目に収録


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