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1991年1月~3月 ブログトップ

Oh! Yeah!/ラブ・ストーリーは突然に [1991年1月~3月]

作詞・作曲・編曲:小田和正 '91年2月6日(水)発売 歌:小田和正
Oh! Yeah!…http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=37779
ラブ・ストーリーは突然に…http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=35697
「東京ラブストーリー」から早くも20年がたった。1991(平成3)年1月7日から3月18日までのフジテレビ系月曜21時台、通称“月9”ドラマ初期の代表作だ。
ドラマはスポーツ用品メーカー「ハートスポーツ」に勤務する事業部の赤名リカ(鈴木保奈美)、営業部の永尾完治(織田裕二)によるラブストーリー。他の主なキャストは関口さとみ役に有森也実、三上健一役に江口洋介、長崎尚子役に千堂あきほ。ハートスポーツ営業部長の和賀夏樹役に西岡徳馬、同じく営業部員で永尾の同僚となる渡辺役に中山秀征。
原作では主に完治の視点を中心に展開したが、ドラマではリカを中心にすえ、彼女の心情を描いた。プロデューサーの大多亮(おおた・とおる)によると、主演が決まっていた鈴木に自分が演じる役をさとみとリカから選ばせたところ、リカと即答したという。また、リカの性格や行動は原作とは大きく違う点も多い。また、企画段階では完治、三上役にはそれぞれ緒形直人、本木雅弘が予定されていたが諸般の事情で織田、江口に変更となった。
同級生の完治、健一、さとみ、尚子。完治を「カンチ!」と呼ぶ帰国子女のリカは自由気ままに生き、まっすぐに恋をする。最初は戸惑っていた完治もそのまっすぐなリカに惹かれるが、やがてその恋は思わぬ方向に向かう。
「月曜日の夜に街から女性が消えた」と言われるほど当時は若い女性に支持された。タイトルバックは、大都会を象徴するような場所(駅、交差点など)で、出演者が人ごみの中で様々な日常生活を営む光景を切り取ったもので、MTVのプロモーションビデオを意識した映像センスは当時としては斬新なものであった。平均視聴率は22.9%、最高視聴率は最終話の32.3%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。
保奈美姉ぇと裕二兄ぃは「東京ラブストーリー」を経て、ドラマの主演級としての評価を確立した。一方でさとみ役の有森也実はリカのサバサバした気性とは対照的なその役柄から女性視聴者から嫌われ、所属事務所に脅迫状まで届いた、と後に本人が語っている。
主題歌で小田和正が歌ったのが「ラブ・ストーリーは突然に」。2月6日に発売され、オリコンチャートでは2月18日付の初登場から4月1日付まで7週連続1位を獲得。100位以内登場44週、売上258.8万枚。当時の日本におけるシングルCDで最大のヒットとなった。
ドラマのストーリーと非常にマッチした楽曲で、タイトルバックと主題歌でドラマの世界観を表現する手法はその後の月9の主流となったのみならず、'90年代以降のテレビドラマに大きな影響を与えた。
ドラマの音楽を担当したのは日向敏文。アルバム『東京ラブストーリー オリジナル・サウンドトラック』も発売された。テレビドラマのサントラが発売されるのは当時では極めて珍しいケースであった。このアルバムは好調な売り上げを記録し、以後人気ドラマのサントラが発売されるのが恒例となった。
「ラブ・ストーリーは突然に」はシングルCDの2曲目に収録されており、1曲目の「Oh! Yeah!」とはレコードでいうところの両A面扱い。
そのため、オリコンでは「Oh! Yeah!/ラブ・ストーリーは突然に」と併記されており、現在でも、CD販売サイト・小田和正の公式サイトなどでは併記されている。「Oh! Yeah!」は小田氏出演の第一生命のCMソング。
CD自体、ジャケット仕様など両A面のつくりをしている(裏表同じ写真が使われ、そこに同じ様式でそれぞれの曲名が記載されている)。CDの背表紙にも、両曲が併記されている。
フジテレビとレコード会社のファンハウスは、「ラブ・ストーリーは突然に」をA面曲として強くアピールし、販売数につなげたいという意向が強かった。特にフジテレビ側より、ドラマ主題歌の「ラブ・ストーリーは突然に」をA面にするよう強い要請があったが、小田氏は思い入れの強い「Oh! Yeah!」をA面にする決心を固めて譲らなかった。対立した意見を仲裁したファンハウスが打開策として両A面を提案したが、小田氏はそのような方法は潔くないと嫌った。しかし最終的には自分が折れることにし、ジャケットの両A面仕様での発売に至った、といういきさつを雑誌に明かしている。
小田氏が主題歌の依頼を受けた際、大多氏から、オフコース時代の「Yes-No」に似た切ない感じの曲が欲しい、というリクエストがあった。しかし、当時ラブソングを歌うことに辟易していた小田氏が初めに作った曲は、大多の期待していたものとは違っていた。大多氏は悩みながらも、小田氏が気分を害するのを覚悟で別の曲を依頼した。すると小田氏は、「1週間もらえれば、ぐうの音も出ないような曲を作る」と宣言し、改めて作り直したのがこの曲だった。
最初に作った曲のほうは『FAR EAST CLUB BAND SONG』と改題され、5月18日発売のベストアルバム『Oh! Yeah!』に収録されている。この曲は'91年3月にフジテレビ系で放送された単発のオムニバスドラマ「ラブストーリーは突然に」(「東京ラブストーリー」とは別)のテーマ曲として使われた。曲のタイトルを冠したドラマに、その曲ができる前のボツ曲が使われたということになるが、ボツ曲を発生させてしまった制作側が、曲を埋もれさせないために、あるいは小田氏をなだめるために企画したドラマだったのではないかとも言われている。
佐橋佳幸のギターのカッティングによる長めのイントロで始まる。ドラマでは、まずオープニングのタイトルバックで流れるが、この時はイントロが長めにカットされ、イントロ終了近くからスタートしている。またオープニングやドラマ途中などで流れていたドラマ用のミックスと、シングル用のミックスは異なったものであり、ドラマ用のミックスでは、ドラム音などは打ち込み音を強調し、楽器音を前面に押し出したミックスとなっており、シングル用のミックスでは、生ドラム音などの楽器の音圧は抑え目になっており、小田氏のボーカルを前面に押し出したミックスとなっている。また、ドラマの中では、歌の部分をインストゥルメンタルに変えたバージョンがBGMとして使われている。そしてドラマ終盤、状況が一変したり、登場人物の心境が大きく変わったりするストーリーの山場で、ギターのカッティングから始まるこのイントロから歌の部分が挿入された。あのイントロは今でも聴いただけでそれとわかり、ドラマのシーンを思い起こさせる。
ちなみに、ドラマの脚本は坂元裕二だが、松たか子のデビュー曲「明日、春が来たら」('97年3月21日発売)の作詞は坂元氏。そしてたか子ちゃんは2007年、佐橋氏と結婚した。
それまでのテレビドラマでは、主題歌と挿入曲には明確な線引きがあり、主題歌がドラマの中で使われることは少なく、挿入されるとしても、インストゥルメンタルにアレンジされたものがBGM的に使われるだけである場合が多かった。
以降、この手法を受け継いだドラマが民放で量産され、特に同じフジテレビの月9枠から、「101回目のプロポーズ」とCHAGE & ASKAの「SAY YES」('91年)、「素顔のままで」と米米CLUBの「君がいるだけで」('92年)、「やまとなでしこ」とMISIAの「Everything」(2000年)など、ドラマ・主題歌ともにヒットした作品が次々と生まれた。民放のドラマだけでなく、それまで30年間、ヴォーカルのあるテーマ曲を使ったことのなかったNHKの連続テレビ小説が、1992年10月開始の「ひらり」で、DREAMS COME TRUEの「晴れたらいいね」を起用しヒットした。
「ラブ・ストーリーは突然に」のヒット以降、ソロアーティストとしての小田和正も「ヒットメーカー」「ビッグアーティスト」の仲間入りをし、小田氏のもとにドラマ主題歌やCMソングの依頼が相次ぐようになった。
小田氏のコンサートでも、この曲が演奏されるときが最も盛り上がる。何度もコンサートに足を運ぶファンから、初めて来たファンまでを一気に燃え上がらせる瞬間をつくることのできる曲である。小田氏がマイクを持ったまま観客席の中に飛び込んで歌うこともしばしばだ。
小田氏自身がTVに出演することが稀なため、発売当時はテレビ番組での披露はされていなかったが、1991年12月3日にフジテレビ系で放送された「FNS歌謡祭」において、この曲を、メイン会場とは別の会場からの生中継という形で初披露した。この出演が、小田氏のソロ活動開始後の初のテレビ生出演となった。

このCDの12、11曲目に収録

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歌えなかったラヴ・ソング [1991年1月~3月]

作詞:真名杏樹 作曲:都志見隆 編曲:松本晃彦 '91年2月6日(水)発売 歌:織田裕二
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=36792
映画「湘南爆走族」でデビューしてから、今年でデビュー20年を迎えた織田裕二が今日で40歳になった。三船敏郎主演から45年、映画「椿三十郎」が森田芳光監督によってリメイクされ、12月1日から公開中。この映画のために主演の織田君は体重を8kg太らせたことを、7日に出演した「ミュージックステーション」で話した。
彼の人気を不動のものにしたのが、平成3年1~3月期にフジテレビの月曜21時台、通称「月9」で放送されたドラマ「東京ラブストーリー」。小田和正が歌う主題化「ラブ・ストーリーは突然に」とともに社会現象となった。リアルタイムで知る人はもちろん、若い人にもDVDでぜひ見ていただきたい。
その「ラブ・ストーリーは突然に」と同じ日に発売されたのが、織田君が歌う「歌えなかったラヴ・ソング」。本人出演のCM、スズキ「セルボ・モード」イメージソングに起用され、オリコン最高位2位、100位以内登場23週、売上57.5万枚。編曲は今も織田君の曲のほとんどを担当している松本晃彦。会社の忘年会でこの曲を歌ったなぁ。できれば男性コーラスを従えて歌ってみるといいよ。
今年は行けなかったけど、織田君のコンサート鑑賞は今まで3回経験している。ASKAソロもそうだけど、松本さんのアレンジって、ASKAの曲によく似ているから、親しみがわくんだよね。結構織田君のアルバム持っているもん。役者・織田裕二として最高のヒット作「踊る大捜査線」の音楽も松本さんによるものだ。

このCDの1曲目に収録


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START [1991年1月~3月]

作詞:森純太、宮田和弥 作曲:森純太 編曲:JUN SKY WALKER(S) '91年1月21日(月)発売 歌:JUN SKY WALKER(S)
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=36165
JUN SKY WALKER(S)復活ということで、今日このブログでは、まさに再始動ということで、「START」を紹介する。オリコン最高位4位、100位以内登場14週、売上21.9万枚。当時のチャートとともに振り返ってみよう。
この曲が4位に初登場した平成3年2月4日付のチャートを見てみると、1位はミリオンを突破してからも快進撃を続ける「愛は勝つ」(KAN)、2~6位に初登場曲が並んでいて、2位が「ぼやぼやできない」(工藤静香)、3位が「スピード」(BUCK-TICK)、5位が「翼をください」(川村かおり)、6位が「スターな男」(ユニコーン)。
すみません、「スターな男」って、どういう曲か知りません! 同じユニコーンでも、PUFFYがカヴァーした「働く男」ならわかるけど。ロシアとの混血・川村かおりが歌うのは、誰もが知っている名曲のカヴァーね。「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」を見ていた人は、「愛は勝つ」とともに覚えていると思う。
話は「START」に戻る。これって何かのCMソングに使われていませんでしたっけ? 私はテレビで歌っているジュンスカを見た記憶が1回だけあるのが、この「START」。番組は「ミュージックステーション」だった。
ジュンスカらしい、明日への活力がわいてくるような、スカッとしたタテのりロックで、これから2人で永遠に歩んでいこうというメッセージが込められている。最後の♪2人の♪は2度輪唱してね。
bayfm「ミュージックサラダ」といえば、5曲の中からどの曲を最後に聴きたいか、いわゆる「サラドレ」を投票によって決める番組だが、1週間前の8月28日、私はスタジオ前で観覧していた。リスト紹介でこの曲のサビ♪スーターート スーターート こーれーからーはーじーまるー~が流れると、体が自然に上下に動いた。パーソナリティで、この日は浴衣姿の岸本梓がいっしょにノッてくれたよ!

このCDの4曲目に収録


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想い出の九十九里浜 [1991年1月~3月]

作詞:長戸大幸 作曲・編曲:織田哲郎 '91年2月14日(木)発売 歌:Mi-Ke
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=36481
7月16日のbayfm「ミュージックサラダ」で投票により番組最後にオンエアされる「サラドレ」で選ばれたのが「想い出の九十九里浜」だった。ということで今日はこの曲を紹介する。
10代の方はリアルタイムをほとんど知らないので説明すると、「おどるポンポコリン」を歌ったのはB.B.クイーンズ。この大ヒットは、後のZARD等の「ビーイングブーム」の原点と言える。
平成3年2月10日、ZARDが「Good-bye My Loneliness」でデビュー。その4日後にデビューしたのが、B.B.クイーンズの音楽コーラス隊のMi-Ke(ミケ)。オリジナルロゴには「Presented by B.B.クイーンズ」と書かれている。
メンバーは並び順に左から村上遙、宇徳敬子、渡辺真美。敬子ちゃんがメインヴォーカル。振り付けを意識した当時のアイドルグループの形態をとりながらも、アルバムごとにテーマを定めたリバイバル・カヴァープロジェクトであった。
ビーイングのサウンド、アレンジ、パロディを含めたプロデュースが光り、レコード大賞、日本有線大賞、全日本有線放送大賞(現・ベストヒット歌謡大賞)、日本ゴールドディスク大賞といった最優秀新人賞を総ナメ。第42回NHK紅白歌合戦にも出場し、「想い出の九十九里浜」を歌った。
敬子ちゃんが2年後にソロデビューし、Mi-KeとしてのCD発売や音楽活動は自然的に停止した。ちなみに敬子ちゃんの1stソロアルバム『砂時計』はオリコン初登場1位をマークした。
といったところだ。
Mi-Ke最初のカヴァープロジェクトは「G・S(グループ・サウンズ)」。先行シングルとしてリリースされたのが「想い出の九十九里浜」。オリコン最高位5位、100位以内に46週チャートイン、売上48.0万枚。
作曲は「おどるポンポコリン」をはじめ、初期のTUBEとZARD作品の多くを手がけた織田哲郎。作詞はMi-Keのプロデューサーで、ビーインググループの創業者・総帥・芸能プロモーターの長戸大幸(「ながと・だいこう」と読む。本名は「ながと・ひろゆき」)。現在も「株式会社ビーイング」の代表取締役だ。TUBEと倉木麻衣をデビューさせたのも長戸氏だ。ちなみに初期のTUBEの多くの作品で作詞を手がけた亜蘭知子(あらん・ともこ)は長戸氏の元妻。昨年、「渚のオールスターズ」が復活したときにもちゃんと参加していたね。
基本的にMi-Keのスタイルはシングルはオリジナルで、アルバムはカヴァー曲を集め、シングル曲ももちろん収録されている。
「想い出の九十九里浜」の歌詞をクリックしていただければわかるかもしれないが、この曲がヒットした時代を知らない若い人でも「タイトルだけなら知っている」というGSサウンド時代の曲名が歌詞として並べられている。このパターンはシングル曲をリリースするにあたりよく使われた。
4月13日発売の1stアルバム『想い出のG・S九十九里浜』には、「想い出の九十九里浜」はもちろん、数々の往年のG・Sナンバーがカヴァーされていて、例えば後に2ndシングルとしてカットされた「好きさ好きさ好きさ」には元ザ・カーナビーツのアイ高野(1951.1.12-2006.4.1)が、「あの時君は若かった」には元ザ・スパイダースのかまやつひろしといったオリジナルを歌ったミュージシャンがレコーディングに参加している。
16年って早いなぁ……。今日は若い人たちに「昔、ビーイング系でこういうグループがあったんだよ」という目的でこのような記事を書いた。前出のアルバムには「亜麻色の髪の乙女」も収録されているんだけど、若者たちは島谷ひとみ版で知ってるもんねぇ。
ZARDが所属していたレーベルは「B-Gram RECORDS」。倉木麻衣、愛内里菜、三枝夕夏 IN dbなどがいるレーベルは「GIZA studio」といったように、ビーインググループは今なお健在である。
敬子ちゃんの現在の活動ぶりは、オフィシャルウェブサイトhttp://www.being.co.jp/uk/news/index.htmlと、40歳になった今年4月7日にスタートした彼女のブログhttp://blog.livedoor.jp/uk_rainbow_voice/でチェックできるよ。

このCDの6曲目に収録


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Good-bye My Loneliness [1991年1月~3月]

作詞:坂井泉水 作曲:織田哲郎 編曲:明石昌夫 '91年2月10日(日)発売 歌:ZARD
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=36808
平成3年、透明感のある歌声を持つ女性がヴォーカルのグループがデビューした。その名は「ZARD」。デビュー曲は「Good-bye My Loneliness」は2月25日付のオリコンチャートで9位に初登場した。トップテンへのランクインはこの1週だけだったが、フジテレビ系で1月10日から3月21日まで木曜10時台に放送された連続ドラマ「結婚の理想と現実」の主題歌に起用された効果もあり、100位以内には15週ランクイン、20.9万枚の売上をマークした。
このドラマの主な出演者は、主演の高野康彦役が中村雅俊、妻の朝子役が田中美佐子、芹沢耕平役が石田純一、妻の早紀役がかとうかずこといった面々。思えばこの頃の石田氏は「不倫したい男№1」「平成の色男」と一番モテはやされていた。

この2枚組CDのDISC-1の1曲目に収録


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ぞうきん [1991年1月~3月]

作詞・作曲:車谷浩司 編曲:BAKU ’91年2月1日(金)発売 歌:BAKU
http://www.uta-net.com/user/phplib/view_4.php?ID=2851
その昔、「BAKU」という三人組のバンドがいた。いや、もともとは四人組だったが、メジャーデビュー前に一人が交通事故死した。平成2年9月1日、「ピーターパン」でポリスターレコードからメジャーデビューを果たした。
2ndシングルの「ぞうきん」は、使っているうちに古くなってきてその役割を終え、お母さんにより子供が学校の掃除で使うぞうきんに作り変えられてしまうタオルの気持ちを描いた曲である。オリコン最高位7位、100位以内登場14週、売上16.3万枚とBAKU最大のヒット作。
歌い出しの歌詞にあるように、学生時代、特に小中学校時代こういう経験を誰でもしたと思う。
歌詞を説明させていただく。
「株式会社 海山商事」からの粗品として贈られたタオル。一、二年家族の体をふいているうちにボロボロになってきたタオルはその役割を終え、今度はぞうきんになって床、壁などをふく。だけど、強いにおいがするものを吸い取ると、そのにおいがなかなか取れない。ぞうきんは摩擦を重ねていくうちにやがてはボロボロになってゴミ箱に捨てられる。だがほこりを払う程度の使い方だったら、かつてタオルだったぞうきんはいつまでもその役割を果たす。でもそういう形で使われるのはいやだ。やっぱりタオルとして過ごしたお家に帰りたい。
という内容。
この曲のPVがとっても面白い。ある小学校の教室。女性の担任が「明日までにぞうきんを持ってきなさい」というのだが詳細を書くときりがない。

この2枚組CDのDISC-1の6曲目に収録
聞こえる/DAY AFTER


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