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1986年10月~12月 ブログトップ

最後のHoly Night [1986年10月~12月]

作詞:売野雅勇 作曲:杉山清貴 編曲:笹路正徳 '86年11月6日(木)発売 歌:杉山清貴
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=36558
杉山清貴のソロ転向後2ndシングル「最後のHoly Night」は1986(昭和61)年11月6日に発売。11月17日付のオリコンチャートで2位に初登場。100位以内登場15週、売上25.3万枚。「ザ・ベストテン」で(TBS系)で累計4週1位を獲得し、杉山氏の代表作となった。
発売当初は日本航空ハワイキャンペーン'86イメージソングだったが、近年は円谷プロのCMソングとして起用された。
「月刊歌謡曲」の'86年12月号には歌唱ポイントとして、「夏から冬への時の経過とともに、彼の、彼女の心の中をさぐってみよう。」と書かれている。
'89年発売の『Listen to my Heart』」、2001年発売の『Heaven's Shore』に別ヴァージョンが収録されており、'96年11月10日発売の「最後のHoly Night'96」のカップリングには「LAST HOLY NIGHT~English Version」として英語ヴァージョンが収録されている。

このCDの2曲目に収録

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クリスマス・イブ [1986年10月~12月]

作詞・作曲・編曲:山下達郎 '86年11月28日(金)発売 歌:山下達郎
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=36969
クリスマスの定番曲が今冬も歴代記録を更新した。
山下達郎の代表作で、1986年11月28日に発売された「クリスマス・イブ」は12月28日付のオリコンチャートで96位にランクイン。前週は200位圏外から156位に順位を上げていた。
これで同曲の連続TOP100入りは、'86年12月8日付の初登場から24年連続となり、同記録歴代2位のワム!「ラスト・クリスマス」の10年連続('89年~'98年)との差をさらに広げた。発売当初はピクチャーディスクで3万枚限定。その後通常盤として再リリースされた。
初収録は'83年6月8日発売の10曲入りアルバム『MELODIES』のラスト。'86年にシングルカットされ、'88年末にJR東海『X'MAS EXPRESS』CFソングに起用されたのをきっかけに曲の認知度が高まり、セールスがピークを迎えた'89年末には12月25日付で初の首位を獲得した。'90年に入ってからも1月1日付、1月15日付(年末年始のため'89年12月25日~'90年1月7日の2週間分集計)と計4週連続で1位を獲得。
その後もクリスマス・シーズンを迎えるたびにセールスを伸ばし、'91年に100万枚を突破した。現在までの総売上枚数は182.2万枚に達している。'96~'97年の年末年始の時点では100位以内登場が84週と資料に残っているので、13年たった今では100週を超えているはずだ。

このCDの10曲目に収録

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愛しき日々 [1986年10月~12月]

作詞:小椋佳 作曲:堀内孝雄 編曲:川村栄二 '86年10月25日(土)発売 歌:堀内孝雄
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=35525
昨日から昭和56年秋にヒットしていた曲を短期集中的に紹介するつもりだったが、今日で堀内孝雄が還暦を迎えたということに気付いていなかった。よって、今日と明日は堀内氏の曲を紹介する。現在、堀内氏はアリスとして28年ぶりの全国縦断ツアーを展開している。
昭和56年にアリスを解散した後、ソロ歌手としてのセールス面ではアリスとしてのツインヴォーカルの相方、谷村新司に大きく後れをとっていた堀内氏。サウンド面で試行錯誤していた。
昭和60年、「打倒紅白」を前面に打ち出した日本テレビが大晦日に大型時代劇を「NHK紅白歌合戦」の裏で放送することになった。
第1弾ドラマ「忠臣蔵」主題歌に「憧れ遊び」が起用された。作詞は小椋佳。堀内氏はドラマにも畳職人役でワンシーンだけ出演している。
そして61年の第2弾ドラマ「白虎隊」主題歌に「愛しき日々」が起用された。こちらも作詞は小椋氏。
「憧れ遊び」がオリコン最高位53位、100位以内登場12週、売上3.0万枚だったのに対し、「愛しき日々」は同最高位4位、100位以内登場25週、売上21.6万枚を記録。ソロ作品としては96.9万枚を売り上げた53年の「君のひとみは10000ボルト」以来、9年ぶりのTOP10入りとなった。ヒットしていた62年、当時37歳だった堀内氏はこの曲について「青春への決別」と語っている。
「ザ・ベストテン」(TBS系)では最高位3位、ベスト10内に通算7週ランクインした。年末ののヒット曲となった。また62年末の「第29回日本レコード大賞」では作曲賞を受賞。この作品のヒットが大きなターニングポイントとなり、堀内氏はフォークシンガーから歌謡曲・演歌歌手として変化していった。
62年の日テレ年末時代劇第3弾「田原坂」でも「遥かな轍」が主題歌に起用された。そのため「愛しき日々」がヒットしたのに第38回紅白には出場していない。ソロ歌手としての初出場は、「はぐれ刑事純情派」第1弾主題歌「ガキの頃のように」を歌った63年の第39回だ。ちなみに同年の日テレ年末時代劇「五稜郭」主題歌「夢の吹く頃」を担当したのはさだまさし。

このCDの2曲目に収録

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紳士同盟 [1986年10月~12月]

作詞:阿木燿子 作曲:宇崎竜童 編曲:武部聡志 '86年11月24日(月)発売 歌:薬師丸ひろ子
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=E01429
NTT「トークの日」キャンペーンソング「ささやきのステップ」の発売からからわずか36日後にリリースされた薬師丸ひろ子の「紳士同盟」は、本人主演の同題名映画の主題歌。12月7日付のオリコンチャートで2位に初登場。100位以内登場11週、売上11.9万枚。作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童の夫婦による作品だが、このコンビで山口百恵に数多くのヒット作を提供した。
この頃の薬師丸さんは12月6日に初のベストアルバム『薬師丸ひろ子 ベスト・コレクション』が出るなど、リリースラッシュだった。
1コーラス目、2コーラス目、サビのリフレインはなく、最後に♪なんてね♪と2回歌う曲構成。1分間に4分音符が120ある行進曲リズムだが、コーラス後半は1拍3連がこれでもかとばかりに使われており、しっかりマーチ調になっている。
薬師丸さんといえば、ロボットのようなしゃべり方に特徴があるが、当時、とんねるずが「オールナイトニッポン」(ニッポン放送系)の火曜深夜1部(25:00~27:00)を担当していた。そこで石橋貴明がよく「紳士同盟」の3連譜部分を真似していた。声自体はまったく似ていないのだが、それこそロボットのように
♪あんとかーで あんとかーで あんとかーでね おんなだーてら しんしどーうめい なんてね♪
と歌っていた。
角川から離れて心機一転。東映映画の「紳士同盟」は女優・薬師丸ひろ子としての第2期の始まりを告げる作品だ。監督を務めた今は亡き那須博之は当時、薬師丸さんをこう評した。
「彼女の魅力のひとつは無器用ということだと思います。だから、映画の中でも納得しないと、カラダが動かないんです。小手先の器用さで適当にやるというのができない人なんでしょうね。そういういい意味での無器用さからくる表現方法と彼女のキャラクターがとても合ってると思いますよ」

このCDの8曲目に収録

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ヴィーナス [1986年10月~12月]

作詞・作曲:Robert Leeuwen 日本語詞:篠原仁志 編曲:鷺巣詩郎 '86年10月21日(火)発売 歌:長山洋子
http://www.uta-net.com/user/phplib/view_7.php?ID=42588
平成5年1月21日発売の「蜩」で演歌に転向してから15年になる長山洋子が今日、40歳の誕生日を迎えた。
幼少時から民謡で鍛えたこともあり、当初は演歌歌手としてデビューする予定であった。演歌歌手としてのボイストレーニングを重ね、デビューに向けて順調に歩み続けていたが、デビュー曲「雪国」のレコーディングの段階に入ったころ、「16歳の長山にはまだ演歌は早すぎる」との見方がスタッフの中で強まり、路線を変更し、アイドル歌手として「春はSA-RA SA-RA」でデビューすることになった。その時のキャッチフレーズは「ぼくの青春(とき)をとめる、少女がいた」である。
そのため演歌にシフトしたときは驚かなかったが、若かりし頃の洋子ちゃんを知っている人はやっぱり「長山洋子=ヴィーナス」のイメージが強いだろう。この曲でブレイクしたのだから。これ以降、正統派のアイドルから歌って踊れるアイドルにイメージチェンジした。
1984年4月1日発売のデビュー曲「春はSA・RA・SA・RA」もそうなのだが、「ヴィーナス」「ユア・マイ・ラヴ」「反逆のヒーロー」「ロンリーグッドナイト」「If We Hold On Together」も外国曲のカヴァーだ。さらに邦楽カヴァーもあり、2枚目の「シャボン」はこれより少し前に発売されたサザンオールスターズのアルバム『人気者でいこう』に原由子のヴォーカルで収録されており、6枚目の「雲にのりたい」は1968年に「天使の誘惑」で第10回日本レコード大賞を受賞した黛ジュンがオリジナル。
といったように、洋子ちゃんのアイドル時代はカヴァー曲が多かったのだが、伸びやかな歌唱力を発揮している3枚目の「密やかにときめいて…」や飛鳥涼が作詞・作曲を担当した5枚目の「ゴールドウィンド」といったオリジナル曲にスポットが当たらなかったのは残念だった。
さて、「ヴィーナス」について語ろう。
「ヴィーナス」のオリジナルは1967年~1974年に活動していた、オランダ出身のロックバンド、ショッキング・ブルーが歌っており、日本では1970年2月20日に発売され、オリコンでは最高位2位、100位以内登場42週、55.5万枚を売り上げた。
それから16年、再びこの曲が注目を集めた。きっかけはイギリスの女性3人組、バナナラマがカヴァーしたこと。日本では1986年6月25日(松浦亜弥が生まれた日だ!!)に発売され、最高位43位を記録した。
10月21日に洋子版が発売されると、バナナラマ版は再び上昇し、最高位の更新はならなかったが、それまでの2倍以上の売上を記録し、100位以内には計23週ランクインし、5.7万枚まで売上を伸ばした。
イントロを聞いただけではオリジナルと区別がつかないが、アレンジはバナナラマ版のユーロビートにほぼ忠実な洋子版はチャートイン8週目の1986年12月22日付から2週連続で、最高位となる10位をマーク。最終的には100以内に19週登場し、16.0万枚を売り上げた。続く「ユア・マイ・ラヴ」は8位、「悲しき恋人たち」「ハートに火をつけて」「反逆のヒーロー」はいずれも10位にそれぞれ初登場し、5曲連続トップテン入りを果たした。
8枚目のシングルは当初、「ヴィーナス」の予定ではなかった。レコーディングのときに軽い気持ちで歌ったら、アッという間に終わって、みんなも「いいねェ、いいねェ」と言った。カセットに入れてもらって家に帰って聴きなおしたら「やっぱりいーなー」と改めて思い、事務所の人に夜遅かったけど電話して「今日、うまく歌えたので、これにしましょう」と言ったことからこれをシングルとしてリリースすることが決まり、ジャケットの写真も撮り直したという。
「雲にのりたい」「ヴィーナス」とカヴァーが2曲続いたが、「ヴィーナス」をリリースした当時、カヴァーするときに、特別自分らしさを出すことを考えたりとか、オリジナルを研究したりするかと質問されると、洋子ちゃんはこう答えた。
「私、オリジナルのショッキング・ブルーのって聴いたことないしね、バナナラマにしてもグループでしょ。それに英語と日本語という違いもあるから、そんなに意識するなんてことはありませんよ。プロモーションビデオでバナナラマを見ても、あの振りを取り入れようというふうな見方はしないのね。“かっこいーなー”とは思うけど、まあ、歌ってるうちに、少し取り入れようかなーとか思っちゃうかもしれないけどね。ただ今は自分の振りが1日も早くカラダに馴染むようにしたいなっという感じです。」
演歌歌手として活動を開始し10年が経った2003年暮れに放送された「ザ・ベストテン2003」では、「ヴィーナス」をドレス姿で熱唱し、アイドル時代の歌を解禁した。

このCDの10曲目に収録


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LONELY BUTTERFLY [1986年10月~12月]

作詞:NOKKO 作曲:土橋安騎夫 編曲:レベッカ '86年10月15日(水)発売 歌:レベッカ
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=35654
今日は11月11日に北海道日本ハムファイターズの背番号「11」であるダルビッシュ有と入籍したサエコの21歳の誕生日だ。
今日はサエコが生まれた頃のヒット曲「LONELY BUTTERFLY」を紹介する。
伝説のバンド、レベッカが人気絶頂だったころの曲。オリコン最高位6位、100位以内登場9週、売上11.8万枚。
それまで元気いっぱいの曲が多かったレベッカだが、この曲では1コーラスごとにAメロ、Bメロ、サビと進んでいくにしたがって曲が盛り上がっていくのとは反対に、曲全体としてはだんだんせつなくなっていく表現力が一番の聴きどころ。
最後はサビを繰り返し歌いながらフェイド・アウトしていく。


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木枯しに抱かれて [1986年10月~12月]

作詞・作曲:高見沢俊彦 編曲:井上鑑 '86年11月19日(水)発売 歌:小泉今日子
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=36765
今日も'86年の今頃の作品を取り上げる。「木枯らしに抱かれて」はキョンキョン主演の映画だった「ボクの女に手を出すな」主題歌。最高位3位、100位以内登場17週、27.9万枚の売上を残した。これより2年前にやはり「生徒諸君!」というキョンキョン主演の映画主題歌「スターダスト・メモリー」もやはり高見沢氏の作詞・作曲(作詞は高橋研との共作)。
哀愁帯びるギターとバグパイプのメロディ、行進曲のようなドラムが印象的なこの曲。当時キョンキョンは20歳になっていたが、前作の「夜明けのMEW」に続き、“大人のキョンキョン”を徐々に見せ始めていた。なお、高見沢氏率いるTHE ALFEEヴァージョンの「木枯らしに抱かれて」は'87年3月11日発売の「サファイアの瞳」のB面に収録されていて、歌詞も若干違っている。それについては来年3月中旬に書く予定。

このCDの1曲目に収録
速報!歌の大辞テン!!Presents「80’s VS 90’s-BALLADS-」(CCCD)


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16粒の角砂糖 [1986年10月~12月]

作詞:松本隆 作曲:辻畑鉄也 編曲:萩田光雄 '86年12月17日(水)発売 歌:西村知美
http://db4.uta-net.com/utanet/user/phplib/view_4.php?ID=27166
残念ながら、グランプリファイナルのフリーで16歳の浅田真央は輝きを放つ演技を見せられなかった。
昨日は西村知美の36歳の誕生日だったのだけれど、知美ちゃんの16歳の誕生日に発売されたシングルが「16粒の角砂糖」。もう20年になる。
自身出演の映画「ドン松五郎の生活」主題歌「夢色のメッセージ」で昭和61年3月20日にデビューした知美ちゃんだが、6月23日に「見えてますか、夢」、9月29日に「わたし・ドリーミング」、10月27日に「君は流れ星」、そして12月17日に「16粒の角砂糖」と、驚異的なペースでシングルをリリースした。
「16粒の角砂糖」は松本隆の詞。今じっくり読むと、女の子の恋心をとても明確に描写している。
というか、今喫茶店に行っても角砂糖ってほとんど見なくなった気がする。見かけるとすればスーパーくらい。今は喫茶店でもファミレスでもみんないわゆる「スティックシュガー」という細長い紙に包まれた形になっていて、それを破ってスプーン形式同様お好みの量をコーヒー、紅茶に入れられるという利点はあるんだけれど。
知美ちゃんってたよりない歌声だけれど、今も変わっていないのはあのおとぼけキャラ。もう10年以上も彼女の歌声をテレビで聞かないけど、懐メロ番組に出てほしいと思っているのは私だけではないだろう。

このCDの5曲目に収録
西村知美 ゴールデンベスト


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深呼吸して [1986年10月~12月]

作詞:秋元康 作曲:山本はるきち 編曲:新川博 '86年10月8日(水)発売 歌:渡辺満里奈withおニャン子クラブ
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=55195
明日は“ラクダを夫に持つポンポコたぬき”渡辺満里奈の36歳の誕生日だが、ソロ歌手としてデビューしてもう20年になったのかということで、「深呼吸して」を紹介する。
昭和61年1月、フジテレビ「夕やけニャンニャン」でのおニャン子クラブの新メンバーを募集するオーディションコーナーで進行役をしていたのがとんねるずの二人。石橋貴明が「ポイント高い」など、徹底的に当時中学3年生の一人のかわい子ちゃんを強力にプッシュしたことも手伝い、見事合格。「おニャン子クラブ会員№36 渡辺満里奈」が誕生した。
10月8日、工藤静香(会員№38)と生稲晃子(会員№40)をバックコーラスに「深呼吸して」でデビュー。10月20日付のオリコンチャートで90,480枚の売上をマークして初登場1位。
2位から10位の順位を紹介する。
2位…CHA-CHA-CHA(石井明美)、3位…Fin(中森明菜)、4位…ハートのIgnition(福永恵規(ふくなが・さとみ))、5位…わたし・ドリーミング(西村知美)、6位…接近(アプローチ)(南野陽子)、7位…B・BLUE(BOΦWY)、8位…すべてはこの夜に(吉川晃司)、9位…夏の終わりのハーモニー(井上陽水・安全地帯)、10位…Say Yes!(菊池桃子)
今時の歌じゃ考えられないけど、ここに書いた10曲、間奏を含めて今でもちゃんとハミングできる。
「深呼吸して」の話に戻る。作詞はおニャン子作品のほとんどを手がける秋元康、作曲は前年、「シャイニンオン・君が哀しい」がヒットしたLOOKのキーボード担当・山本はるきち。
当時の満里奈へのインタビュー記事を読み返してみると、この曲は当初、アメリカでレコーディングしたのだが、到着した翌日の朝9時頃から行い、時差ボケのせいもあってボーッとして、さらにソロとして初のレコーディングだったから緊張しまくり、声もあまり出ず、結局日本で録り直した。でもおニャン子クラブのツアー中で時間はあまりなかったと書いてある。

このCDの2曲目に収録
おニャン子クラブ A面コレクション Vol.3


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二十三夜 [1986年10月~12月]

作詞:大津あきら 作曲:佐藤隆 編曲:チト河内 '86年10月21日(火)発売 歌:堺正章
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=35789
マチャアキこと堺正章も8月6日で還暦を迎えた。ということで、今日は彼の'80年代の代表作である「二十三夜」を紹介する。「さらば恋人」「街の灯り」というヒット曲があるが、「二十三夜」は前2作の“青春”から“アダルト”なムードを醸し出している。曲自体に盛り上がりはないが、狂おしいほどの愛を歌い上げている。
昭和61年、堺氏は半年前に長年司会を務めてきた日本テレビ系月曜20:00の歌番組(「紅白歌のベストテン」→「ザ・トップテン」)の司会を降板し、半年間はテレビ界から姿を消していた。
その間40歳になった堺氏。そして同局で9月29日から月~金曜13:30~13:55の枠で「SAKAIです~デザートーク~」という、裏番組のテレビ朝日系「徹子の部屋」に対抗するかのような対談番組を展開していた。番組タイトルの「デザートーク」とは、「デザート」と「トーク」の造語。「二十三夜」は「SAKAIです」のエンディング・テーマに使用され、ヒットしたのだ。
半年後、同番組はサブ司会にキャスターの久和ひとみ(1960.9.25-2001.3.1)を加え、タイトルから「SAKAIです」を外し、単に「デザートーク」となった。
しかし、視聴率は芳しくなく、62年10月2日に終了。翌週の10月5日から日テレは大胆な番組改革を行い、12:00からの2時間番組として「午後は○○おもいッきりテレビ」をスタートし、テレ朝の「徹子の部屋」とともに、今もこの番組は高い人気を保っている。「おもいッきりテレビ」も当初は苦戦したが、平成元年4月に司会がみのもんたに代わってから現在のスタイルになった。

このCDの7曲目に収録
堺正章


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