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家路 [1983年7月~9月]

作詞:山川啓介 作曲・編曲:木森敏之 '83年8月21日(日)発売 歌:岩崎宏美
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=35625
岩崎宏美が11月12日で50歳になったということで、少し遅れたが、今日は彼女の曲を紹介する。
32枚目のシングルとして昭和58年8月21日発売された「家路」は「聖母たちのララバイ」に続いて日本テレビ系「火曜サスペンス劇場」の主題歌となった。オリコン最高位4位、100位以内登場21週、売上32.0万枚。第25回日本レコード大賞で金賞を受賞した。
ラジオ局などに配布されたサンプル盤のコーラスアレンジは、TV版に準拠し、1コーラス目、2コーラス目は混声コーラスがその最後の部分を後追いで繰り返すような形になっていたが、発売されたヴァージョンは後追いのようにはなっていない。なお、基となるTVヴァージョンについては紙ジャケット復刻アルバムの『私・的・空・間』にボーナストラックとして収録されている。

この2枚組CDのDISC-1の3曲目に収録

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越冬つばめ [1983年7月~9月]

作詞:石原信一 作曲:篠原義彦 編曲:竜崎孝路 '83年8月21日(日)発売 歌:森昌子
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=31886
歌手活動を本格的に再開して3年目の森昌子が今日10月13日、50歳の誕生日を迎えた。
「スター誕生!」(日本テレビ系)出場をきっかけに、昭和47年7月1日、「せんせい」でデビュー。51.4万枚の大ヒット。同じく「スター誕生!」を経て48年にデビューした同学年の桜田淳子、山口百恵とともに「花の中3トリオ」と命名され、この3人によるコンサートを高3の時まで行っていた。
それから時は流れ、映画やドラマで数え切れないほど共演した三浦友和との結婚を決意した百恵氏は55年10月5日、人気絶頂にありながら21歳の若さでマイクを置いた。桜田氏も歌手から女優へ活動をシフトしていった。
2人とは違って演歌を歌う昌子氏は58年8月21日に発売した「越冬つばめ」の歌唱により、同年の第25回日本レコード大賞で最優秀歌唱賞を受賞し、直後の第34回NHK紅白歌合戦でもこの曲を歌った。オリコン最高位27位、100位以内登場27週、売上11.1万枚。
意表をついたのは作曲者。本名で書いてあるのでわからないが、「夢想花」の大ヒットで知られる円広志だ。若い世代でも「夢想花」は♪とんでとんでとんで……~というサビだけでも知っていると思う。
つばめは漢字で「燕」と書く。春に渡来して日本各地で繁殖し、冬に南方へ渡る。春の季語にもなっている。「越冬つばめ」は切ない女心をつばめに託し歌われている曲で、歌詞の中でつばめが飛んでいる情景を「ヒュルリ ヒュルリララ」と表現されているのが特徴的である。

このCDの1曲目に収録

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気まぐれOne Way Boy [1983年7月~9月]

作詞:橋本淳 作曲:山本寛太郎 編曲:甲斐正人 '83年9月1日(木)発売 歌:The Good-Bye
http://www.uta-net.com/user/phplib/view_0.php?ID=5865
田原俊彦、近藤真彦とともに「たのきんトリオ」として人気を博した“ヨッちゃん”こと野村義男が満を持して歌手デビューを果たしたのは1983年9月1日、「The Good-Bye」というバンドとしてだった。それから昨日で25年。現在の表記は「THE GOOD-BYE」。
'83年6月、野村さんがアルバム『待たせてSorry』でソロデビュー時のハウスBANDとして結成された。デビュー当時の通称は「ヨッちゃんBAND」。
9月、「The Good-Bye」として正真正銘、バンドとしてデビュー。野村さんと曽我泰久(現「曾我泰久」)のツインヴォーカルがギター、加賀八郎がベース、衛藤浩一がドラムを担当。“ヤッチン”こと曾我さんはもともとジャニーズ事務所に所属していたが、他の2人は57年にオーディションでメンバー入りが決まった。
デビュー曲の「気まぐれOne Way Boy」はメンバーのオリジナル楽曲ではない。9月12日のオリコンチャートでは9位に初登場。100位以内登場9週、売上9.0万枚。結局これを上回るセールスを残すことなく、'91年4月1日に活動休止した。以後、野村さんは日本を代表するギタリストとして活躍、曾我さんはミュージカルに多数出演している。
「気まぐれOne Way Boy」は野村さんがメインヴォーカルとなっている曲で、最初と最後は♪Rock’n tonight♪と4回続けて歌われるコーラスだが、1回ごとに他のメンバーが1人ずつ徐々に高くなるコーラスが加わり、4回目は完全に4声ハモになる。最後の方は3回目までは輪唱にミックスされている。
レコード大賞および日本歌謡大賞の最優秀新人賞は、'80年から田原俊彦、近藤真彦、シブがき隊、そしてThe Good-Byeと、ジャニーズ事務所勢が4年続けて制した。大ヒットとはいえないレコードの売上枚数やチャート順位にも関わらず、新人賞レースで彼等が成功したのは、ジャニーズ事務所出身ということもあり、テレビ、ラジオ番組、雑誌等、若者向けの各メディアとのブッキングに恵まれ、「野村義男」「曾我泰久」という当時のアイドルで1クラス上のビッグネームが顔を揃えていたことにある。
'83年の新人賞レースを賑わせていたのは、岩井小百合を筆頭に伊藤麻衣子(現「いとうまい子」)、原真祐美、森尾由美、木元ゆうこ、大沢逸美、小林千絵等であった。最優秀新人賞は、セールス面から見れば、「僕笑っちゃいます」がヒットした風見慎吾(現「風見しんご」)が本命であったが、風見さんは他の賞レースを辞退しながら「第16回日本有線大賞」だけには参加し、最優秀新人賞を受賞。一方、The Good-Byeは「第25回日本レコード大賞」をはじめ、ほとんどの最優秀新人賞を受賞するという、不可解な結果に終わった。
The Good-Byeは2003年にZepp Tokyoで「再会」ライブを行い、'04年に新ベストアルバムとオリジナルアルバムの再発売、さらに東名阪でのライブツアーを行なった。'07年7月にはSHIBUYA-AXなど5ヶ所でのライブツアーが行われた。今年は10月12日に東京・渋谷C.C. Lemonホールで、バンド結成25周年を記念してのスペシャルコンサートが行われる。

この2枚組CDのDISC-2の21曲目に収録

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漁歌 [1983年7月~9月]

作詞:山田孝雄 作曲:浜圭介 編曲:清水靖晃 '83年7月20日(水)発売 歌:北島三郎
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=31957
新宿コマ劇場が今年一杯で閉鎖されるとの発表が昨日あった。
私がコマに通わなくなってしまってからもう9年8ヵ月が過ぎている。しばらくは、この劇場で座長公演を見たことがある演歌歌手の特集をお送りする。
座長公演は前半2時間が演劇、休憩をはさんで最後の1時間が歌という構成。北島三郎の公演の場合、必ず歌うのが「まつり」。演劇の出演者を含めなどが参加して派手に演出をする様子は、日本で一番人件費がかかる歌かも。
でも、「まつり」は昨年の有馬記念でマツリダゴッホが勝った際、このブログで取り上げた。今年1月には「今年年男・年女になるアーティスト特集」で惜しくも北島氏の歌を取り上げることができなかった。北島氏は1936年10月4日生まれの年男。1月に取り上げようと思っていた曲を紹介する。
昭和58年の紅白歌合戦で披露した「漁歌」。漁で生計を立てる男の物語だ。オリコンチャートでは最高位94位、100位以内登場4週、売上0.9万枚とまったくふるわないが、なぜか今でもこの曲をそらで歌える。歌詞が単調なせいもあるのだろうか。
「ざんげの値打ちもない」(昭和45年)、「石狩挽歌」(50年)のヒットで知られる北原ミレイも同時期に歌っていた、いわば“競作”である。北原氏の方はチャートインしていない。コーラス最後の部分は北島氏が♪男の海よ~と歌っているのに対し、北原氏は♪男海よ~と“の”を省いている。
北島版の「漁歌」は演歌としては画期的だ。まずドラムが’80年代を象徴するシンセだ。歌詞については各コーラス最初の3行が“よ”で終わっている。ラップ風にアレンジして違う曲にしてしまうのもおもしろいので、ラップを歌っている人の中で北島氏をリスペクトしている人たちはぜひ「漁歌」をサンプリングした曲を制作していただきたいものだ。
さらに演歌としてはめずらしく、裏声のスキャットが1コーラス後にあり、2コーラス目後も♪ヘイヤー ヘイヤー ヘイヤー トントン♪と3回歌った後、再び裏声のスキャットになってフェイドアウトするという曲構成。スキャットでフェイドアウトする演歌といえば、「漁歌」の翌年に発売され、このブログでもすでに掲載済みの「流氷子守唄」(山川豊)がある。

このCDの9曲目に収録

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お久しぶりね [1983年7月~9月]

作詞・作曲:杉本真人 編曲:梅垣達志 '83年7月21日(木)発売 歌:小柳ルミ子
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=35527
オリコンチャート昨年12月24日で7位、さらに31日付で6位にランキングされ、同日の第58回NHK紅白歌合戦でヒット曲「吾亦紅(われもこう)」を披露した作曲家の杉本真人。歌手としては"すぎもとまさと"とひらがなで名乗っているが。トレードマークは黒いサングラス。白髪が増えた。
作詞のちあき哲也もこの曲で第49回日本レコード大賞作詞賞を受賞したね。ちあき氏といえば今は演歌しか書かないけど、昔はアイドルやロックにも結構提供していた。「仮面舞踏会」(少年隊)や「止まらないHa-Ha」(矢沢永吉)とかね。
さて、本題に入る。私は杉本氏のことを「お久しぶりね」のヒットで知った。どういう人物なのかというと、昭和24年4月30日生まれで、"団塊の世代"と呼べる。法政大学第一高等学校、法政大学社会学部卒業。
47年にソングライターグループ「フォーメン」結成。50年解散、アルバム「あすふぁると」で歌手デビュー。
杉本氏が作曲した中で私が知っているのは、「忍冬(すいかずら)」(因幡晃、昭和60年)、「それは…黄昏」(五木ひろし、昭和63年)、森進一「冬の桑港(シスコ)」(森進一、平成元年)、「恋は天下のまわりもの」(石川さゆり、平成2年)といったところ。
演歌界を代表する作曲家だが、作詞を手がけることもある。よく演歌の作曲家が地上波UHF曲のカラオケ番組で審査委員長をしているが、杉本氏も群馬テレビで放送中の「ニューカラオケ大賞」に審査委員長としてレギュラー出演している。
「吾亦紅」のヒットで歌手としても注目されるようになり、昨年11月4日からはSTVラジオ「すぎもとまさとのBarスターライト」(日曜19:30~20:00)パーソナリティを務めている。北海道のみなさんはチェックしてね!
さて、「お久しぶりね」についてだが、歌ったのは1970年代に「わたしの城下町」「瀬戸の花嫁」など、演歌調の曲を歌うアイドル歌手として一世を風靡した小柳ルミ子。
30歳代になる前に八重歯を抜いた小柳氏は昭和58年、映画「白蛇抄」でオールヌードを披露した。「お久しぶりね」が発売されたのはその頃。杉本氏は作詞も担当した。
ピアノで始まるイントロ、そして演歌の香りを残しながらもポップス調の曲に合わせて小柳氏が持ち前のファルセットを繰り出しながら華やかに踊る。宝塚音楽学校出身だけあって、その動きはそこいらのアイドルとは比べ物にならない。
幅広い世代に受け入れられた「お久しぶりね」は次第に上昇していき、最終的にはオリコン最高位8位、100位以内登場38週、売上39.7万枚。久々のヒット曲となった。曲がヒットし始めた頃、サントリーは「小柳ルミ子ヌードカレンダー」をプレゼントするキャンペーンを展開していた。
続く「今さらジロー」「乾杯!」も杉本氏の作詞・作曲。まさに小柳氏の第二次黄金期だった。
昭和という時代が終わる直前、ダンサーの大澄賢也との結婚を発表して驚かせた。当時賢也君は23歳、小柳氏は36歳。まぁ、賢也君がまだ駆け出しのダンサーだったこともあり、いろいろ議論を巻き起こした。今風に表現すれば"格差婚"というところか。
結局賢也君のプレイボーイぶりが災いし、予想していたよりは長くもったが、結局離婚した。慰謝料は今、どうなっているのかな?

この2枚組CDのDISC-2の14曲目に収録


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恋は、ご多忙申し上げます [1983年7月~9月]

作詞・作曲:桑田佳祐 編曲:桑田佳祐&Head Arrangers '83年8月21日(日)発売 歌:原由子
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=B20875
資生堂'83秋のキャンペーンソングは原由子4枚目のソロシングル「恋は、ご多忙申し上げます」。オリコン最高位5位、100位以内登場17週、売上24.7万枚。
(ド、ファ、ソは#)♪ラーラーラー ラッラッララー ソーソーソー ソッソッソソー (元の「ソ」に)ソーソーソー ソッソッソソー ファーファーファー ミッミッミミー♪を2回繰り返すのがこの曲のイントロ。1回目の後に「Hey!」とコーラスが入っているが、これによってこの曲の軽やかさを増している。
サビの歌詞がおもしろい。1コーラス目は「愛・視点・ルール」、2コーラス目は「恋・視点・ルール」。「ルール」にはエコーがかかる。
夏をともにした彼氏のことが今も忘れられないOLの気持ちを描いている。2コーラス目に入る前の電話音が、忙しいオフィスを連想させる。
曲の最後はクールダウンっぽくスローになり、♪恋人を想えば秋風が吹くの mm- 彼のことが今も忘れられない♪とメロウに歌われ、フェイド・アウトする。
10曲入りの2ndアルバム『MISSY YOKOHAMADULT』には8曲目に収録されている。このアルバムはとにかく横浜の香りが満載。「女優」は演歌調で、ラストは鮎川誠とのデュエット「ヨコハマ・モガ」。

このCDの9曲目に収録
http://vemall.jvcmusic.co.jp/pages/EC1000?item_cd=VICL-60165


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メリーアン [1983年7月~9月]

作詞:高見沢俊彦、高橋研 作曲:高見沢俊彦 編曲:ALFEE '83年6月21日(火)発売 歌:アルフィー
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=36048
今日も第1回世界陸上があった頃のヒット曲を紹介する。
(ラップ調で)「こしあん、つぶあん、鈴木杏。アルフィーは?」
「メリーアン!!」
空耳だと、「ねりあん」って歌っているようにも聞こえるけどね。
アルフィー(現在は「THE ALFEE」)はビクターからデビューした。当時は4人編成。昭和49、50年にシングルを1枚ずつ、50年にアルバムを1枚リリースしたがまったく売れず。楽曲はほとんどが「作詞:松本隆、作曲:筒美京平、編曲:馬飼野康二」で、高見沢俊彦が作った曲はアルバムに1曲あるだけ。その後、三宅康夫が脱退。
51年以降はレコードリリースがなく、同じ田辺エージェンシー所属の研ナオコのバックを務めたり、デパートの屋上などである子供向けのイベントに出るときもあった。
54年、キャニオンから再デビュー。サウンドはフォークから次第にロックに変わっていく。
その後、坂崎幸之助がニッポン放送「オールナイトニッポン」で人気パーソナリティとなり、知名度を上げていく。
コンサート活動を地道に続け、57年には所沢航空記念公園で初の野外イベント「ROCK'N'ROLL FIGHTING NIGHT」をするまでになった。さらには日本武道館公演も果たした。
デビュー10年目の58年、再デビュー後14枚目のシングル「メリーアン」が大ヒット。大輪の花が咲いた。オリコン最高位7位、100位以内登場32週、売上37.3万枚。一度きりであるが、年末には第34回NHK紅白歌合戦出場を果たした。
相変わらずコンサート活動が忙しい中、アルフィーはランキング番組に積極的に出演した。ライヴ会場からの中継が多かったが、「メリーアン」のイントロの間、観客が頭の上で手拍子をする姿が異様だった。「いつか私もこの中にいたい」という思いは、平成7年、千葉ポートパークでの野外ライヴでかなうことになる。その2年後、稲毛海浜公園でもこのイベントを楽しんだ。毎年恒例の野外ライヴはいつからか2日連続開催の形になり、昨年まで25年続いた。
稲毛海浜公園での公演は2日とも見たんだけど、強風で特効が使った派手な演出ができなかった。このときは「メリーアン」のB面「ラジカル・ティーンエイジャー」も歌ったよ。そうそう、「メリーアン」の前のシングル「暁のパラダイス・ロード」のB面「祈り」も歌ったなぁ。
アルフィーといえば、3人全員がメインヴォーカルを張れるが、半分はベースを弾きながら直立不動で桜井賢によるもの。この曲もそうだ。ロックサウンドでもアコースティックギターにこだわる坂崎氏、どんなボディデザインをしたギターを使うか毎回楽しませてくれる高見沢氏といった、個性もバラバラな面々。
「メリーアン」では、2コーラス目の後に坂崎氏のギターソロ、高見沢氏のギターソロと続くパートがあるが、高見沢氏のギター奏法が今まで見たこともないものであることに、私のロック魂が目覚めた。
「ザ・トップテン」で2人の外国人女性が「私の名前はメリーです」「私の名前はアンです」と自己紹介しながら曲紹介をしたことを覚えている。
今もなお現役で突っ走り、オリコンシングルチャート連続トップテン入りを40まで伸ばしている。

この2枚組CDの3、4曲目に収録


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ためいきロ・カ・ビ・リー [1983年7月~9月]

作詞:松本隆 作曲:筒美京平 編曲:松下誠 '83年7月15日(金)発売 歌:近藤真彦
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=37852
日活映画黄金時代の石原裕次郎の代表作「嵐を呼ぶ男」を近藤真彦主演でリメイク。監督は当時と同じ井上梅次。
その主題歌としてリリースされたのが「ためいきロ・カ・ビ・リー」。昭和58年7月25日付のオリコンチャートに初登場。前回のこのブログで紹介した薬師丸ひろ子の「探偵物語/すこしだけやさしく」の7週連続1位を阻み、以来1位を3週キープ。100位以内登場13週、売上33.0万枚。
AメロとBメロはゆったりしているが、Bメロからサビにつながるあたりからテンポが速くなる。2コーラス目のサビが終わった後のギターソロのメロディがかっこいい。
この頃は茶髪だったマッチ。まだ19歳になろうという頃で、画面の中で見る彼ははじけまくっていた。そのくせ負けず嫌いで、「ヤンヤン歌うスタジオ」ではゲームに負けると半べそをかくところもあった。
当時すでに車への興味は高く、前年秋から日産自動車「マーチ」のCMに出演。「マッチのマーチはあなたの街にマッチする」なんて言っていた。翌年、ついにカーレーサーとしてデビューを果たすことになる。
19日でマッチは43歳になる。

この2枚組CDのDISC-1の11曲目に収録


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そんなヒロシに騙されて [1983年7月~9月]

作詞・作曲:桑田佳祐 編曲:若草恵 '83年8月21日(日)発売 歌:高田みづえ
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=35557
今気がついたけど、'83年8月21日って、亡命先の米国から帰国したフィリピンの政治家、ベニグノ・アキノがタラップを降りている最中に暗殺された日じゃん。
この死が、やがて長く続いたマルコス独裁政権の崩壊とベニグノの妻コラソン・アキノの大統領就任へつながっていったんだけどね。
本日19時から放送されるフジテレビ系「Dのゲキジョー」で、元歌手の日高みづえ氏が出演する。というか、旧姓でかつ芸名でもあった「高田みづえ」と言った方がわかりやすいので、以下「みづえ氏」と表現する。
このため、今日は特に若い人に高田みづえとはどういう歌手だということを知ってもらいたく、予定を変更して「そんなヒロシに騙されて」を取り上げる。
昨日、bayfm「MUSIC SALAD」の番組最後にオンエアされる「サラドレ」候補に上がっていた「そんなヒロシに騙されて」。私は当然この曲に投票したが、残念ながら「サラドレ」(最高得票)にはなれなかった。ちなみに「サラドレ」は「さよならだけどさよならじゃない」(byやまだかつてないWINK)だった。
高田みづえ21枚目のシングルとしてリリースされたのが「そんなヒロシに騙されて」。オリコン最高位6位、100位以内登場22週、30.6万枚の売上。
昭和55年にリリースされ、みづえ氏最大のヒット曲となった「私はピアノ」と共通しているのは、
「作詞・作曲が桑田佳祐」「サザンオールスターズのアルバムに原由子のヴォーカルで収録されている」
の2点。
この曲がヒットした頃、私の両親がみづえ氏を見て「綺麗になったなぁ、彼氏でもできたのかな」と言っていた。それは見事に当たった。
さて、曲の解説に行く。
オリジナルとしては、このリリースより少し前、7月5日発売のサザンオールスターズの6thアルバム『綺麗』の6曲目に収録されている。両方のヴァージョンを比較すると、ベンチャーズ風のギターサウンドをはじめとしたアレンジはほとんど同じ。基本リズムは「タタン タン」。桑田氏の曲といっても湘南サウンドというよりは、歌詞に「横須賀」という地名が書かれているように、三浦半島をドライヴするときに聞きたい曲だ。
♪おまえが好きだと~の歌い出しで、みづえ氏は“き”の部分で左目でウインクしていた。女性のみなさん、カラオケで歌う際はぜひやってみて下さい。
なお、嘉門達夫は「替え歌メドレー2」でこの曲を♪そんな猪木に騙され コブラツイストに♪と歌っていた。

この3枚組CDのDISC-3の5曲目に収録


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GOOD-BYE青春 [1983年7月~9月]

作詞:秋元康 作曲:長渕剛 編曲:瀬尾一三 '83年9月1日(木)発売 歌:長渕剛
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今日で長渕剛が50歳になったということで、彼の曲を紹介する。
昭和58年の長渕氏大きな転換期を迎えた。まず結婚から2年弱で石野真子と離婚。
そして俳優にも本格的に挑戦。同年、森田芳光監督、松田優作主演で先に映画化されたが、主演作「家族ゲーム」が8月26日から9月30日までの計6回、毎週金曜日TBS系で放映開始。「GOOD-BYE青春」はその主題歌だ。オリコン最高5位。
作曲はもちろん長渕氏自身だが、作詞家として有名になりつつあった秋元康が詞を手掛けた。
「家族ゲーム」以降、「家族ゲームII」(59年)、「親子ゲーム」(61年)、「親子ジグザグ」(62年)と、暖かい季節になるとTBS系の金曜夜9時は長渕氏主演のコミカルな連続ドラマが4作放映された。同じくTBS系で放送された63年の「とんぼ」からは極道路線になっていくのだが。
「家族ゲーム」の各話のタイトルは、第1話から「ボクの家庭教師は暴力先生・なのダ」「ケンカがこわくて勉強できるか・なのダ」「いびられたたかれ、でもウレシイぼく・なのダ」「秀才アニキの万引き事件・なのダ」「落ちこぼれのチャレンジ宣言・なのダ」「あばよ、ボクの愛した家庭教師・なのダ」。 さらに「家族ゲームスペシャル アニキの家庭教師は花の女子大生・なのダ」(60年)もある。
「GOOD-BYE青春」の頃の長渕氏の声はすでに今のような感じになっていた。酒をかっくらって、自らああいう声を作り上げた。でも現在は酒は弱くなったらしい。この頃まではまだ曲調もフォークだったが、「家族ゲームII」の主題歌「孤独なハート」以降、ロック色が強いサウンドの時代が続く。
曲の構成としては、Aメロを2回、Bメロ、サビを2回(2回目の♪なれー♪は高く伸ばす)という感じになる。計4回歌われるAメロは各フレーズの終わりが♪のようさ♪、♪酔えないみたい♪、♪に白い♪、♪シルエット♪の部分がエコーを含め4回歌っているように聞こえる。
2コーラス目が歌われた後、♪ライ ララライ ララ……♪とAメロのメロディーでスキャットが歌われてフェイド・アウトする。2回目の♪LIE LA LIE♪も同様のエコーの効果が使われている。

このCDのDISC-1の3曲目に収録
長渕剛 SINGLES Vol.2 (24bit リマスタリングシリーズ)


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