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センチメンタル・ジャーニー [1981年10月~12月]

作詞:湯川れい子 作曲:筒美京平 編曲:鷺巣詩郎 '81年10月21日(水)発売 歌:松本伊代
プロ野球日本シリーズは28年ぶりに巨人と日本ハムが対戦することになった。よって、しばらくは当時のひっとょくを紹介する。
このブログで初めて松本伊代の曲を取り上げる。もちろんデビュー曲「センチメンタル・ジャーニー」だ。オリコン最高位9位、100位以内登場20週、売上34.3万枚という自身最大のヒットとして、今もなお語られている。「ザ・ベストテン」(TBS系)では最高6位に入り、1981年12月から'82年1月にかけて通算5週間ランクインした。この曲で'82年の第24回日本レコード大賞新人賞を受賞した。
デビュー時期上、新人賞レースには'82年参加の扱いとなり、同年にデビューした数多くの歌手とともに「花の'82年組」と呼ばれ、先陣を切った形になった。
伊代ちゃんは昭和40年6月21日生まれ。東京都大田区雑色出身。「ボンド企画」にスカウトされて、56年に「たのきん全力投球!」(TBS系)で、田原俊彦の妹役としてデビュー。
デビュー前の9月1日から本人出演のロッテ「ガーナチョコレート」のCMソングとして「センチメンタル・ジャーニー」が大量オンエアされ、注目を集めた。キャッチフレーズは「瞳そらすな僕の妹」。
この曲の中で最もインパクトがあるのは、♪伊代はまだ16だから~と歌うところ。日本の歌謡曲では初めて歌詞に歌手自身の個人情報(名前と年齢)が含まれた曲であった。レッツゴーヤング(NHK)に出演した時には、歌詞の「伊代は」を「わたし」に変更して歌った。これは当時のNHKの基準に照らして歌詞が個人宣伝になるとされたためである。
今でもこの曲を踊れる人は多いと思う。初期の伊代ちゃんのバックダンサー&ヴォーカルとして華を添えていたのはスクールメイツから選抜された2人で、左が神奈川県出身の北沢清子(昭和39年2月28日生まれ)、右が東京都出身の山本恵子(昭和37年5月20日生まれ)。背が高く、セブンティーンなどの雑誌に「伊代の後ろに巨人」と書かれたこともあった。また、松本伊代の姉と勘違いされたこともあった。
後にこの2人は伊代ちゃんのマネージャーにスカウトされ、ボンド企画に所属することに。同じスクールメイツ出身で大成功したキャンディーズなど「キャ」の付くグループが縁起が良いということで、そのマネージャーが「キャプテン」というユニット名を付けた。スクールメイツ時代には日本レコード大賞、日本歌謡大賞、NHK紅白歌合戦、ザ・ベストテン、レッツゴーヤングなど数々の歌番組に出演。西城秀樹、石野真子、榊原郁恵、松田聖子、たのきんトリオなどのバックで踊っていた。
2人は59年、麻生真美子(現「麻生麻真宮子」)とともに「麻生真美子&キャプテン」を結成。62年に解散し、キャプテンは同年、「Be-2(ビーツー)」として再デビューした。
2人はその後、地方のバラエティ番組で司会を務めたのち芸能界を引退することになったが、ビートたけしから「やめちゃダメだ…ねえちゃん達はティナ・ターナーのように50代になってもミニスカートにハイヒールで歌わなくちゃ」と言われ活動を再開し、「北野ファンクラブ」や「足立区のたけし、世界の北野」(ともにフジテレビ)などに「デビル・ガールズ」名義で準レギュラーで出演。北野監督の映画「HANA-BI」「菊次郎の夏」「『Dolls」などにも脇役で出演した。
北沢さんは現在、ロミロミ&ヒプノセラピーサロン「ビューティハウスBe」を経営している。近況はブログ「KIYOねえのポノポノ生活」(http://blog.kiyonee.com/)をご覧あれ。9月15日に伊代ちゃんの自宅に行ったことが書いてあるよ。

このCDの1曲目に収録

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