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花の時・愛の時 [1987年1月~3月]

作詞:なかにし礼 作曲:三木たかし 編曲:若草恵 '87年2月21日(土)発売 歌:前川清
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=31736
昨夜放送された「NHK歌謡コンサート」に前川清が出演し、「花の時・愛の時」を歌った。私はこの曲が大好きだ。昨日は3月2日だったが、オリコンチャートにこの曲が初登場したのが、1987年の同日付だ。オリコン最高位74位、100位以内登場18週、売上4.9万枚。メナード化粧品のCMソングだったと記憶している。
「内山田洋とクール・ファイブ」のヴォーカルとして、コーラス歌謡のトップランナーだった前川氏は在籍末期にソロで「雪列車」「フィクションのように」をリリースしていた。「雪列車」は作詞が糸井重里、作・編曲が坂本龍一ということで話題になったが、なんとオリコン100位以内には入らなかった。
「フィクションのように」('84年11月21日発売)は夏目雅子が出演していた「キリンラガービール」のCMソングだったが、夏目さんは'85年に入院。それでもCMは大量オンエアされていたが、白血病で帰らぬ人となる。
クール・ファイブから独立した前川氏は'87年から本格的にソロ歌手としての活動をスタートさせた。キャニオンレコード(同年夏に「ポニーキャニオン」に変更)にレコード会社を移籍。最初にリリースしたシングルが「花の時・愛の時」。
作詞はなかにし礼、作曲は三木たかし。いずれも歌謡曲に大きな歴史を築いたソングライターだ。この2人が組めばこそのスケールの大きいバラードになった。
個性的なコーラス隊をバックに歌っていたクール・ファイブ時代とは声の出し方が変わり、“男の色気”が加わった。我々が前川氏の物真似をする際、ビブラートをねちっこくかけるが、本人はソロになってからそれをしなくなった。
なかにし氏が書いた詞は定型になっている。
例えば2コーラス目のA´メロのサビ直前部分は
恋はため息か 恋はときめきか 恋は愚かな悩みか
と、疑問調で並べており、“か”の前の名詞の母音が“い”で統一されている。
1コーラス目のサビ前半は
時には愛のやさしさで つつんでみたいと思う 時には愛のはげしさで 泣かせてみたいと思う(♪HoHoHoHo-Ho HoHoHo-~とスキャットが入る)
2コーラス目は“みたい”が“ほしい”に変わっている。
サビの最後は1コーラス目が、
“海の底で二人 貝になりたい”
2コーラス目、
“青い空で二人 雲になりたい”
になっている。
最後は2コーラス目サビ後半のリフレイン。
前川氏は'88年2月21日、中島みゆきが書き下ろした「涙」をリリースしたが、こちらは100位以内にチャートインせず。「愛がほしい」が発売された'88年10月21日には皮肉にも中島氏がセルフカヴァー版の「涙」を、アルバム『グッバイガール』(11月16日発売)の先行シングルとして発売。
それからの前川氏はクール・ファイブ時代の代表作で、後に自身がオーナーの一人となり、2007年にGⅠレース「ヴィクトリアマイル」を制した競走馬「コイウタ」の由来となった「恋唄」を経て、「男と女の破片(かけら)」がヒット。ソロ歌手・前川清としての活動が軌道に乗るまではまだまだ時間を要したのである。

この2枚組CDのDISC-2の1曲目に収録

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MARILYNE [1987年1月~3月]

作詞・作曲:吉川晃司 '87年3月5日(木)発売 歌:吉川晃司
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=36355
現在、バンクーバー冬季五輪が行われているが、2006年のトリノ大会に続いて出場している女子カーリングの本橋麻里は“マリリン”の愛称でアイドル並みの人気を誇る。ということで、吉川晃司の「MARILYNE」を紹介する。
吉川君10枚目のシングル(他に12インチ盤が3枚)として1987(昭和62)年3月5日、この曲が曲目に収録された5thアルバム『A-LA-BA・LA-M-BA』と同時ににリリースされた。3月16日のオリコンシングルチャートで4位に初登場し、100位以内登場7週、売上9.2万枚。上位3位もいずれも初登場で、1位が「stripe blue」(少年隊)、2位が「I Love you, SAYONARA」(チェッカーズ)、3位が「湾岸太陽族」(荻野目洋子)だった。
『A-LA-BA・LA-M-BA』は同日付のアルバムチャートで2位に初登場。1位に初登場したのは『Mind Note』(稲垣潤一)だった。
「MARILYEN」はシングル曲としては8枚目の「MODERN TIME」以来2曲目となる吉川君本人の作詞・作曲。本橋選手は'86(昭和61)年6月10日生まれなので、この曲がヒットしていた頃はまだ生後9ヵ月ほどだった。
編曲は当時まだ音楽家として駆け出しの頃だった松本晃彦。彼はその後、テレビドラマの大ヒットをきっかけに今年、3度目の映画公開が予定されている「踊る大捜査線」の音楽を担当したり、同作品の主演である織田裕二の歌手としての数多くの作品を編曲している。
「MARILYNE」のレコードジャケットは2種類あり、初回限定版はピクチャーディスク仕様で、三角ステッカーの貼られたビニールケースに収納されていた。通常版は『A-LA-BA・LA-M-BA』のジャケットが色違いで使われている仕様となっている。同年9月16日にはCDビデオもリリースされた。
B面の「ODEON」は作詞が吉川君、作曲が吉川君と後藤次利の共作、編曲は後藤氏で、なぜかインストナンバーだが、どうしてヴォーカルが入っていないのかというと、元々全編英語詞でリリースされる予定であったが、当時所属していた大手芸能事務所「渡辺プロダクション」の許可を得ずに、事務所の同僚で仲良しのアン・ルイスとデュエットしたことで、著作権上の問題から歌唱部分が削除されることになった。そのため、歌詞付きのヴァージョンは長らくお蔵入りの状況となっていたが、2005(平成17)年に発売されたベスト盤『BEST BEST BEST 1984-1988』のボーナストラックとして初収録された。
6thシングル「RAIN-DANCEがきこえる」('85年9月25日発売)より少し前から髪を伸ばし始め、うなじの部分で結ぶ長髪になっていた吉川君だが、「MARILYNE」をリリースした頃にはすっきりしていた。布袋寅泰とのユニット「COMPLEX」を組んだ'89年頃はまた長髪になっていたが、30歳代半ばになってからは短髪に落ち着いている。
近年の吉川君は中国やモンゴルの歴史に造詣が深く、4月11日まで江戸東京博物館で開催されている「チンギス・ハーンとモンゴルの至宝展」では音声ガイドとして協力してくれた。

このCDの2曲目に収録

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STAR [1987年1月~3月]

作詞:有川正沙子 作曲:タケカワユキヒデ 編曲:鷺巣詩郎 '87年1月21日(水)発売 歌:浅香唯
http://www.uta-net.com/user/phplib/view_0.php?ID=2709
昨日で40歳になった浅香唯の出世作「STAR」を紹介する。
唯ちゃん昭和59年、少女コミック主催の「ザ・スカウトオーディション'84」で「グランプリ・浅香唯賞」を受賞。これにより、芸名が「浅香唯」となる。
歌手デビューを控えた60年。この年は「科学万博つくば'85」が3月16日から9月16日まで茨城県つくば市で開催されたが、TBSではこの会場で平日17時台に「EXPOスクランブル」を生放送し、唯ちゃんは上京した翌日の3月18日(月曜日)からレギュラー・アシスタントとして出演。
同年6月21日、シングル「夏少女」で歌手デビュー。同日には中山美穂も「「C」」でデビューした。少し前にデビューした同期生には、芳本美代子、本田美奈子がいる。
唯ちゃんは宮崎県出身ということでキャッチフレーズは“フェニックスから来た少女”。しかし、レコードは鳴かず飛ばず、ドラマのオーディションを受けても宮崎訛りが災いして受からない、地方にキャンペーンに行っても客が集まらない、という不遇時代が約1年半続く。その間、シングル5枚、アルバム1枚を発売するも、61年9月21日発売の5thシングル「10月のクリスマス」がようやくオリコン88位にランキング(100位以内登場3週、売上0.4万枚)された以外は、すべて100位にも入らなかった。
61年10月30日スタートのドラマ「スケバン刑事Ⅲ 少女忍法帖伝奇」(フジテレビ系)に三代目麻宮サキとして主役に抜擢されたことがターニングポイントとなった。62年1月21日に同ドラマの主題歌として「STAR」がリリース。2月2日付のチャートで10位に初登場。翌週には最高位となる9位へ。最終的には100位以内登場9週、売上8.2万枚。
2月2日付の1~9位までを紹介する。
1位 「NO MORE恋愛ごっこ」(おニャン子クラブ)
2位 TOO ADULT(渡辺美奈代)
3位 KID(田原俊彦)
4位 雪國(吉幾三)
5位 木枯らしに抱かれて(小泉今日子)
6位 愚か者(近藤真彦)
7位 ホワイトラビットからのメッセージ
8位 楽園のDoor(南野陽子)
9位 時の流れに身をまかせ(テレサ・テン)
2月14日には「スケバン刑事」の映画版も公開されるなど、唯ちゃんはようやくトップアイドルへと駆け上がっていく。南野陽子主演の映画「スケバン刑事」では、二代目と三代目の麻宮サキが共演したが、ロケはとにかくハードで、テレビ版のロケ中に右足首をねんざして何日かお休みしたこともあった。そのため、2月28日発売のアルバム『Star Lights』のうちの何曲かは椅子に座ってのレコーディングだったとか。
初代の斉藤由貴、二代目の南野陽子といったそれまでの「麻宮サキ」と違うのは、唯ちゃんは右利きなので、共通の武器であるヨーヨーを使う際は右手を出している。

このCDの8曲目に収録

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Self Control [1987年1月~3月]

作詞:小室みつ子 作曲・編曲:小室哲哉 '87年2月1日(日)発売 歌:TM NETWORK
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=34900
昭和62年2月1日に発売されたTM NETWORKの9thシングル「Self Control」は、2月26日発売の同名の4thアルバムの先行シングルとして発売されている。オリコン最高位33位、100位以内登場12週、売上3.9万枚。サブタイトルは「方舟に曳かれて」。アルバムには4曲目に収録されている。
もともとシングルとして作った曲ではなかったが、CBSソニー出版の音楽雑誌「Gb」の担当者の一押しにより、シングルリリースが決まる。
結果としてそれが功を奏し、この曲で「夜のヒットスタジオDELUXE」に初出演を果たし、ブレイクのきっかけを作り、次の「Get Wild」につながる布石となっている。イントロの♪ミーミーミーファーレミミミミミーファーレ♪(この曲では“ド”と“ファ”がシャープ)とキーボードで奏でられるリフがそのままサビのメロディーとなっている。また歌詞には「アダムとイブ」、「ボニー&クライド」を取り上げている。
タイトルがくり返されるサビのラジオヴォイスは、木根尚登の声をサンプリングしたものであり、宇都宮隆、小室哲哉でも試してみるが一番しっくりきたのは木根氏の声だという。
シングルヴァージョンはエンディングがフェードアウトしているが、c/wの(Instrumental Mix)ではフェードアウトせず、シンセブラスの和音で終わっており、アルバムヴァージョンのインストゥルメンタルとなっている。c/wではサビのラジオヴォイスを含め、コーラスも消されており、オリジナル・カラオケではなく、純然たるインストゥルメンタルとなっている。
それから21年。12月17日にはglobeの活動再開第2弾シングルとして同曲のカヴァーヴァージョンが発売される予定だったが、11月4日に小室氏が詐欺容疑で逮捕されたため、同日にエイベックスが発売中止を決定した。
小室氏は21日に保釈されたが、明日で50歳になる男の転落劇をみなさんはどんな思いで見ているのだろうか。これまでの一時代を築いてきた作詞家、作曲家との決定的な違いは、演歌を書かないところだ。結局小室氏は洋楽色の強いロックやポップス路線を突き進んだ結果、和風、あるいはアコースティックなサウンドが今また見直されてきた時代の流れにとり残され、現在の低迷に至っていると私は思う。小室氏は日本の心を理解する能力に欠けていた。
昔は「人生50年」なんて言ったが、日本の平均寿命は世界トップクラス。特に女性は80歳代後半だ。小室氏よ、まだ人生は長い。これまでにも音楽界では一時代を築いた人が麻薬等で逮捕されても、立ち直った人は何人もいる。10年先でもいい。ファンは復活を願っている。

このCDの4曲目に収録


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津軽恋女 [1987年1月~3月]

作詞:久仁京介 作曲:大倉百人 編曲:若草恵 '87年2月21日(土)発売 歌:新沼謙治
http://www.uta-net.com/user/phplib/view_0.php?ID=3089
タイトルに“津軽”の2文字が入る演歌といえば、「津軽海峡・冬景色」(石川さゆり)、「津軽平野」(千昌夫)などがある。
昭和62年の今頃は「津軽恋女」、一発屋だった石上久美子の「津軽のじょっぱり」があり、ともに今でも大好きな曲だ。
「津軽恋女」は「嫁に来ないか」「ヘッドライト」のヒットで知られる岩手県出身の歌手、新沼謙治が歌った北国演歌。オリコン最高位85位、100位以内登場11週、売上2.6万枚。
こな雪、つぶ雪、わた雪、ざらめ雪、みず雪、かた雪、氷雪。津軽には七つの雪が降ると歌われている。
51歳の今もなお、なまりの抜けない素朴さがウケる新沼氏だが、妻は湯木博恵という、今年還暦を迎える姉さん女房で、当時まだなかったが、現在の世界選手権に相当する全英オープン選手権女子シングルスで4度優勝するほどのバドミントン選手だった。昭和56年に現役を引退。平成14年には日本人選手初の国際バドミントン連盟の殿堂入りを果たした。
今、女子バドミントンといえば小椋久美子&潮田玲子の“オグシオ”ペアが人気だが、その昔は「バドミントン界のキョンキョン」と呼ばれた美人の陣内貴美子、さらにその前は湯木氏が一時代を築いた。
「津軽恋女」が売れていた頃は、野球の落合博満が大型トレードでロッテから、星野仙一が監督に就任した中日に移籍した頃。当時信子夫人は長男の福嗣君を身ごもっていた。
あの頃よく言ったなあ、「落合さんの奥さんと新沼さんの奥さんはどっちがよりブサイクか」って。

この3枚組CDのDISC-2の11曲目に収録


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楽園のDoor [1987年1月~3月]

作詞:小倉めぐみ 作曲:来生たかお 編曲:萩田光雄 '87年1月10日(土)発売 歌:南野陽子
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=55615
9日は井上真央の21歳の誕生日だったが、その翌日、21年前の1月10日に発売されたのが、'80年代後半を代表するアイドルだった“ナンノ”こと南野陽子6枚目のシングル「楽園のDoor」。初のオリコン1位獲得作で、100位以内登場14週、売上26.1万枚。以降8作連続初登場1位を記録した。
すでにテレビ版の「スケバン刑事」は浅香唯が三代目麻宮サキを演じるパートⅢになっていたが、ナンノ演じる二代目サキは映画になり、「楽園のDoor」はその主題歌となった。
パートⅡ最初の主題歌で、ナンノの2ndシングルである「さよならのめまい」に続き、作曲は来生たかお。彼ならではの温かいメロディーラインだ。
コーラス単位で最後の2行、1コーラス目なら♪心ごと♪と♪生きてゆきたくて♪の間、2コーラス目なら♪一歩ずつ 強い優しさに♪の間では、マイクを左に動かしながら逆方向に首を動かす振り付けがチャームポイント。

この2枚組CDのDISC-1の8曲目に収録


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stripe blue [1987年1月~3月]

作詞:松本隆 作曲:筒美京平 編曲:馬飼野康二 '87年3月3日(火)発売 歌:少年隊
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=53834
昭和62年3月16日付のオリコンチャートで初登場1位だったのは、少年隊の5thシングル「stripe blue」。100位以内登場12週、売上25.2万枚。
あれから20年。錦織一清、植草克秀、東山紀之。3人とも40歳を超えている。この曲での3人の衣装はまさに青と白のストライプだったが、今着ても似合うのかな? 当時、街にはこの手の服を着た若者が多かったとか。でも私は田舎の高校生だったし、よくわからない。
歌詞を見ていただきたい。パート説明をすると、2コーラスとも2行ごとに東山、錦織、植草、錦織という順番。続いて3人は「Fu!」という声に続き、サビに入る。テレビサイズでは1コーラス後の間奏のオケが少し違う。その間奏後半で見せる東山君のバック転がすごい!!
2コーラス目の後の♪Dance Dance♪の次に来るフレーズについては植草(♪光りと♪)、東山(♪翳りの)、錦織(♪透き間で♪)の順番で歌う。以降はずっと3人で歌う。♪夏の日の出来事♪の部分がこの曲の一番高い音。
文化放送で日曜13:00から3時間半放送されていた「決定!全日本歌謡選抜」では最後の1時間がベスト50の発表で、10位以上はフルコーラス曲がかかる。「stripe blue」が流れ終わり、司会の小川哲哉が「第○位、少年隊、strip blue」と言ってしまったことが今でも忘れられない。「e」があるとないとでは、全然意味が違ってしまう。
B面の「雨のスタジアム」は'90年代半ば頃、私が通っていた美容院http://chiba.salonrank.com/ca6/000932.htmlの有線で流れてびっくり。今、サッカーに青春を燃やしている人にとっては涙ものの曲だよ。

このCDの5曲目と12曲目に収録


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Oneway Generation [1987年1月~3月]

作詞:秋元康 作曲:筒美京平 編曲:大谷和夫 '87年2月4日(水)発売 歌:本田美奈子
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=36163
「1986年のマリリン」とともに故・本田美奈子の代表作といえる。TBS系で昭和62年1月9日から3月27日までの21時台に放映されたドラマ「パパはニュースキャスター」主題歌。オリコン最高位2位、100位以内登場11週、20.4万枚の売上。
前の年から美奈子ちゃんは、今では珍しくもなんでもない「へそ出しルック」で度肝を抜いたが、この曲だけはその路線とはちょっとお休みして、ボーイッシュなファッションにステッキを携えながら2人の女性バックダンサーとともに踊るかわいらしい振り付けだった。
さて、美奈子ちゃんも第1話にゲスト出演した「パパはニュースキャスター」とはどういうドラマだったかというと、田村正和演じる、酒を飲むと記憶をなくす独身主義で車はポルシェ928のニュースキャスター・鏡竜太郎の元に、12年前に酒の席で口説いた3人の女との間に出来た娘が現れ、いきなり3人の父親になるというコメディドラマである。レギュラー終了後も62年10月2日、平成元年1月2日、6年9月30日と3回スペシャルで放送された。TBSを舞台としている。
3人の娘の名前はすべて「愛(めぐみ)」。鏡竜太郎が「身を固めるから」と女を口説く時、「娘が出来たら何と名付ける」と訊ねられ、決まって「愛情の『愛』と書いて『めぐみ』、愛に恵まれるように」と答える事から。スペシャル版で「愛」は母親の名前であることが判明する。

このCDの9曲目に収録
CD&DVD THE BEST 本田美奈子(DVD付)


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「君が通り過ぎたあとに-Don't pass me by-」「サファイアの瞳 [1987年1月~3月]

作詞・作曲:高見沢俊彦 編曲:THE ALFEE
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=33903
「サファイアの瞳」作詞・作曲:高見沢俊彦 編曲:THE ALFEE
'87年3月11日(水)発売 歌:THE ALFEE
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=33905
昭和62年3月23日付のオリコンチャートに初登場した曲の中で5位に入ったのが「君が通り過ぎたあとに-Don't pass me by-」で100位以内登場12週、14.8万枚の売上。そして1位になったのが「サファイアの瞳」でこちらも100位以内登場12週で売上は18.7万枚。
そう、THE ALFEEは3月11日、シングル2枚を同時発売したのだ。
アーティストパワーによっては1位に初登場しても売上が20万枚にいかないところが今の音楽事情とよく似ている。この年の1位は瀬川瑛子の「命くれない」だが、44万枚台で年間1位だったんだよ。一番シングルのセールスが一番どん底だったのが昭和62年。
「君が通り過ぎた後に-Don't pass me by-」は映画「タッチ3」の主題歌。高見沢俊彦のメインヴォーカルだが、高見沢氏はこの曲ではギターを持たずに歌っていて新鮮だった。フィーチャーされている楽器はピアノ。1コーラス目が終わった後の坂崎幸之助によるアコースティックギターソロもたまりません!!
B面の「FOR THE BRAND-NEW DREAM」(http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=E00054)は坂崎氏のメイン。歌詞は全て英語。ブラスをメインにしたアレンジもいいが、2コーラス目後のキーボードパートも楽しい。
「サファイアの瞳」は桜井賢のメイン。彼ならではの“泣き”の高音がところどころ混じっていて、とっても歌いやすい。当時西村知美が出演していたライオンの洗顔料「ページワン」のCMソング。サファイアは9月の誕生石で石言葉は「慈愛」「誠実」「貞操」。こちらもイントロはピアノがフィーチャーされているが、2コーラス目後のブラスもゴージャス!!
B面の「木枯し抱かれて…」は小泉今日子に提供した「木枯しに抱かれて」のセルフカヴァーで高見沢氏のメイン。歌詞は男性用に若干書き換えられ、さらに2コーラス目後のギターソロに続く新しい歌詞
その瞳に運ばれた 涙がせつないね 眠れぬ夜をいくつも 通りすぎてきた 木枯しに抱かれて 心はあなたへと…
が追加されている。キョンキョン盤についてはの'06年12月20日付のこのブログに書いてある。

この2枚組CDのDISC-1の1~4曲目に収録
SINGLE HISTORY3


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償いの日々 [1987年1月~3月]


作詞・作曲:呉田軽穂 編曲:京田誠一 '87年1月1日(木)発売 歌:財津和夫&原みどり
http://www.uta-net.com/user/phplib/view_0.php?ID=3106
まず、この曲名を誰が知っているのかと聞きたい。でも私はなぜか発売当時から知っていた。'90年代前半、私はよくレンタルショップを利用していて、ダビングした財津和夫のベストアルバムにもこの曲が入っているので、今聞こうと思えばすぐ聞ける。
オリコン最高位50位、100位以内登場13週、3.3万枚の売上。恋人同士だった男女が別れまでの過程が切々と描かれている。松任谷由実が松田聖子をはじめ他のアーティストに提供するときに使ったペンネーム「呉田軽穂」で作詞・作曲している。
この頃高校1年生の私は自分のCDラジカセにタイマー録音をかけて昼間のNHK-FMの歌謡番組をエアチェックしていて、帰宅後聞いていて、ポップス、ロック、演歌と問わず新しい曲をどんどんカセットテープに収めていた。
3月5日深夜のハロプロミニ番組「歌ドキッ! POP CLASSICS」でこの曲名を聞いたとき、私は「おーっ!!」という歓声を上げた。安倍なつみとつんく♂のデュエットだったけど、これがよかったんだよ。その前のオンエアだった3月2日深夜もなっちだったけど、KANとのデュエットで歌ったのはチェッカーズの「Song for U.S.A.」だった。
1月27日に横浜アリーナで行われたハロプロライヴを見たとき、「甘すぎた果実」を歌うなっちを見て「ずいぶん表現力がついたなぁ」と驚いた。テレビで「償いの日々」を歌っているなっちはもう“いなかのいも娘”でなくすっかり“大人”だった。顔はいつまでも小学生男子だけど。

このCDの10曲目に収録
呉田軽穂作品集~秘密の花園~


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