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1982年4月~6月 ブログトップ
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YES-YES-YES [1982年4月~6月]

作詞・作曲:小田和正 編曲:オフコース '82年6月10日(木)発売 歌:オフコース
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=37314
昭和57年のオフコースは6月で終わっている。
今でも小田和正のソロヴァージョンで生命保険会社のCMで流れている「言葉にできない」が発売されたのが2月1日。それから4ヵ月後にリリースされたのがこの「YES-YES-YES」。
イントロはない。途中で車のクラクションと街のざわめきのSEがある。
♪手を離さないで あなたを連れてゆくよ♪と繰り返して曲は終わるのだが、その部分は音程が上がって、最後は現在の小田さんのソロ曲を含めても最高の絶叫調になっている。この部分を聞くと涙が止まらない。
6月15日から30日までオフコースは計10回、日本武道館でコンサートを開いた。最終公演をもって結成当時からのメンバーだった鈴木康博が脱退したため、「5人のオフコース」としてはこれが最後になった。秋にはこの公演の模様が収録されたフィルムコンサートが全国各地で開かれた。
この公演で「YES-YES-YES」が歌われることは決してなく、終演のアナウンスが告げられても観客は動かず、同曲を一斉に歌った。
他のメンバーもその後表立った活動をしなくなった。よって「オフコースは解散するのか?」といわれたが、59年、残りの4人で活動を再開し、平成元年2月26日、東京ドームでの公演で解散した。
5人の時代と4人の時代のオフコース、どちらが好きかと聞かれても返答に困る。

この3枚組CDのDISC-3の13曲目に収録
シングルス21 1973~82


赤道小町ドキッ [1982年4月~6月]

作詞:松本隆 作曲:細野晴臣 編曲:大村憲司 '82年4月1日(木)発売 歌:山下久美子
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=37773
FIFAワールドカップに2大会連続2度目の出場のエクアドルは決勝トーナメント進出を果たした。
「エクアドル」はスペイン語で「赤道(Ecuador)」を意味し、赤道直下にあり、中央をアンデス山脈が横断中央し、海岸線は亜熱帯、東はアマゾン上流熱帯雨林。太平洋上にガラパゴス諸島を領有する国だ。
6月21日は夏至だったが、この日、北緯の赤道(北半球の冬至だと南緯の赤道)は地球の重心を通り、地球の自転軸に垂直な平面が、地表を切断する線に来る。赤道より北を北半球、南を南半球という。春分と秋分の年2回、太陽が真上にくる。
さて、話が長くなったが、山下久美子は昭和55年6月25日、「バスルームから愛をこめて」でデビュー。初めてオリコン100位以内に入ったのは56年2月1日発売の3rdシングル「恋のミッドナイトD.J.」。6枚目のシングルである「赤道小町ドキッ」は山下さんの代表作と呼べる。オリコン最高位2位。カネボウ化粧品夏のキャンペーンCMソングとして大ヒット。当時すでに山下さんのライヴはものすごく盛り上がり、「総立ちの久美子」と呼ばれた。声が面白いので、よく真似したものだ。

このCDの7曲目に収録
Beauty J-POP-Columbia EDITION-


渚のバルコニー [1982年4月~6月]

作詞:松本隆 作曲:呉田軽穂 編曲:松任谷正隆 '82年4月21日(水)発売 歌:松田聖子
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=36024
さて、FIFAワールドカップ期間中ということで、どうしてもこのコーナー、過去の開催期間中のヒット曲になってしまう。
今日は1982年、ブラジルがジーコ(現日本代表監督)、ファルカン(元日本代表監督)、ソクラテス、トニーニョ・セレーゾ(前鹿島監督)という“黄金のカルテット”を擁しながらも、決定的なストライカーが不在で2次リーグ敗退したスヘイン大会当時のヒット曲だった松田聖子の「渚のバルコニー」を紹介する。
まず♪タンランランラン♪という短いイントロに続き、サビ頭だ。ここからギターをフィーチャーした本格的間奏が4小節続き、Aメロに入る。初期の美空ひばりの代表作「東京キッド」に♪右のポッケにゃ夢がある 左のポッケにゃチューインガム♪とあるが、「渚のバルコニー」のAメロは♪右手に缶コーラ 左手には白いサンダル♪である。このAメロからBメロまでは「パン、パパン」という手拍子が続く。
前のシングルが「赤いスイートピー」(3月10日の記事参照)だったが、「渚のバルコニー」に登場する花はラベンダーだ。
2コーラス目の歌詞、あなたはどこの道路を連想しますか?
最後の♪きっときっとよ♪の前から♪そして秘密♪の前までは♪Ah 渚のバルコニーで待ってて×4(“Ah”は1回目はomit。ごめんね楽譜記号使って。早い話が“この部分は歌わない”ということ)と歌う男性コーラスに乗せながら歌われている。そしてクールダウンするかのようなピアノの演奏で曲は終わる。

この2枚組CDのDISC-1の6曲目に収録
青春歌年鑑 1982


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