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一気! [1984年10月~12月]

作詞:秋元康 作曲・編曲:見岳章 '84年12月5日(水)発売 歌:とんねるず
http://www.uta-net.com/user/phplib/view_0.php?ID=675
とんねるずは今年で結成からちょうど30年を迎える。「一気!一気と!」繰り返し吠えていたのが25年前の今頃だ。
2人は運動部が全国レベルで知られる帝京高の同期生。石橋貴明は野球部、木梨憲武はサッカー部にいたが、ともにレギュラークラスではなく、全国大会出場は果たしていない。木梨さんは全国大会予選となる東京都大会に出場しており、日本テレビの映像にも残されているが、喫煙が発覚し、出場権を得た全国大会のメンバーからは外された。
1980(昭和55)年、高校を卒業した2人は就職したが、ほどなく再開し、コンビを結成。「お笑いスター誕生!」(日本テレビ系)に出演したのをきっかけにデビューを果たした。
デビュー当初からまあまあの程度でテレビへの露出はあり、歌手としても「新・ど根性ガエル」(日本テレビ系)の主題歌「ピョン吉ロックンロール」でデビューした。
その頃、西城秀樹司会の日テレ土曜朝の情報番組「モーニングサラダ」にレギュラー出演も、些細なことから同番組のプロデューサーと衝突。一貫して日テレ系番組出演タレントであったとんねるずは同局から完全に干されることになる。この間は新宿御苑のパフォーマンスバー「KON」に出演するなど、再び下積み時代を過ごした。また、この頃は同じショーパブ系タレントであるビジーフォーやアゴ&キンゾーらと交流を持ち、グッチ裕三宅に居候していたこともある。
その後、西城氏の初代マネージャーだった秦野嘉王が設立した新事務所「AtoZ」の所属第一号タレントになり再浮上の機を窺うことになった。秦野氏は、当時のお笑い芸人には無縁だったスタイリストをとんねるずに付け、派手なブランドの代名詞でもあった「K-FACTORY」の衣装をコンセプトとするなど、イメージプロデュース戦略を図った。また現在に至るまでとんねるずの重要なブレーンであり、彼らの楽曲の作詞を行っている秋元康との出会いもこの時期である。
そして'84年12月5日、秋元氏作詞の「一気!」が発売。'85年初頭、当時「オールナイトフジ」(フジテレビ)にレギュラー出演していたとんねるずは番組内で「一気!」を歌ったのだが、パフォーマンス中に石橋さんが突然テレビカメラに抱きつき、カメラを倒して壊してしまうという事件が大きな話題となり、ブレイクした。オリコン最高位19位、100位以内登場19週、売上11.0万枚。
♪飲めぬ下戸にはヤキ入れて~と歌い始める1コーラス目は強制的に酒を飲ませるシーン。今だったら飲酒強要で犯罪だ。2コーラス目は木梨さんが客にいろいろなメニューを無理やり食べさせる新宿二丁目スナック「磯ぎんちゃく」のママ“チャッピーノリリン”を演じている。3コーラス目は石橋さんが矢沢永吉に扮し、英語や業界用語を交えながら太っ腹なキャラクターを演じている。4コーラス目は石橋さんが学校朝礼の場で貧血で倒れ、木梨さんが先生に助けを求めるという内容で、3月21日発売の1stアルバムに『成増』収録されたNew Version(http://www.uta-net.com/user/phplib/view_0.php?ID=86281)では日射病をテーマにしている。
さらに5月21ら日発売の『自画自賛/ザ・ベスト・オブとんねるず』にはLong Versionとして、大きく歌詞を変えて収録されている。
とんねるずが歌番組に露出し始めた頃、「オレたちひょうきん族」(フジテレビ系)の1コーナー「ひょうきんベストテン」に出演。しかし、かつて「ひょうきん族」の真裏で放送していた日本テレビの番組に出演していた事から、司会者から「他局の方々」という扱いを受けてしまう。そして唄い始めるや否や、「ひょうきん族」の出演者から、ビール瓶で殴られる、ケーキを顔面にぶつけられる、狭い透明の壁に押し込まれ諸々のゴミをかけられるなど、2人とも散々な目に遭い、ついに二人は「もう日テレには出ないから勘弁してくれ!」「フジテレビ命(いのち)だよ~」と音をあげてしまった。
レコードジャケットの中の2人は応援団を想起させる「学ラン(長ラン)」姿で、テレビで歌う時もこれだった。彼らの体育会系な暴力的ギャグは、その後のお笑い界に大きな流れを作り、現在のお笑いタレントたちにも上下関係の厳しさは脈々と受け継がれている。
当時とんねるずが所属していたレコード会社はビクター音楽産業(現「ビクターエンタテインメント」)。「一気!」からキャニオンレコード(現「ポニーキャニオン」)移籍第一弾となった「やぶさかでない」('86年5月28日)まで、作詞は秋元康、作曲は見岳章(みたけ・あきら)のコンビだった。後にこの2人は美空ひばりの遺作となった「川の流れのように」を生み出した。見岳氏は土屋昌巳がヴォーカルを務め、「すみれSeptember Love」が大ヒットした一風堂でキーボードを担当していた。
その後、とんねるずは多くのヒット曲を世に送り出したが、THE ALFEEの高見沢俊彦が書き下ろした「大きなお世話サマー」を除き、作詞は秋元氏、作曲は後藤次利だ。

この2枚組CDのDISC-1の1曲目に収録


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