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ふたりのラブソング [1984年10月~12月]

作詞:吉岡治 作曲:五木ひろし 編曲:斉藤恒夫 '84年12月21日(金)発売 歌:都はるみ&五木ひろし
http://www.uta-net.com/user/phplib/view_0.php?ID=3964
今年年男・年女のアーティスト特集。今日は都はるみ(1948年2月22日生まれ)と五木ひろし(1948年3月14日生まれ)のデュエットソング「ふたりのラブソング」。
はるみ氏のデュエットソングといえば、宮崎雅(みやざき・ただし)との「ふたりの大阪」、岡千秋との「浪花恋しぐれ」が有名だ。
「浪花恋しぐれ」が大ヒットした翌昭和59年、はるみ氏は突然「普通のおばさんに戻りたい」と年内での引退を発表した。
大晦日の第35回NHK紅白歌合戦が間近に迫る中、盟友・五木ひろしとのデュエットソング「ふたりのラブソング」を急遽レコーディング、レコードジャケットは当日のツーショット。左にいるはるみ氏が五木氏の右腕を両腕で組んでいる。当時ともに36歳の年男・年女だった。オリコン最高位16位、100位以内登場11週、売上8.9万枚。
すれ違いの愛が続き、別れることを決めた2人が、ネオン街でお酒を飲みながら最後の一夜を過ごしている。夜明けを迎えた。外は霧だ。「さよなら」を云わずに出ていこうとする女に対し、男は「途中で不幸に出合ったら、いつでも帰っておいでよ」と別れる様子を歌っている。
コロンビア全国歌謡コンクール昭和38年の第14回、39年の第15回でそれぞれ優勝したのが北村春美と松山数夫。ともに優勝の翌年にデビューしたが、道のりは対照的。
3rdシングル「アンコ椿は恋の花」が大ヒットしたはるみ氏に対し、“松山まさる”の芸名でデビューした五木氏はまったく売れず、芸名を3度変え、“五木ひろし”の名で最初に出したシングル「よこはま・たそがれ」が大ヒットし、ようやくスターの仲間入りしたのは46年のことである。
以後、ともに日本レコード大賞に輝くなど、切磋琢磨の関係にあった2人が、はるみ氏の引退を控え実現したのがデュエットソングをリリース。
オリコンチャートに初登場した大晦日、五木氏は「長良川艶歌」で2度目の日本レコード大賞を受賞し、はるみ氏は「夫婦坂」を紅白で歌って引退した。
その後、新人歌手のプロデュースなどを手がけてきたはるみ氏は平成2年、歌手に復帰した。前年に美空ひばりが52歳で他界したことが関係していることがないとはいえない。

この2枚組CDのDISC-2の7曲目に収録


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