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フライディ・チャイナタウン [1981年10月~12月]

作詞:荒木とよひさ 作曲:海老名泰葉 編曲:井上鑑 '81年9月21日(月)発売 歌:泰葉
http://www.uta-net.com/user/phplib/view_1.php?ID=6462
昭和55年といえば、25歳の春風亭小朝がいまだに破られていない36人抜きで真打ちに昇進したり、林家三平が54歳で急死した年だ。
三平の死去から1年と1日が経過した昭和56年9月21日、当時20歳の二女・海老名泰葉がファーストネームをそのまま芸名にしてシンガーソングライターとしてデビューした。もともと音楽大学への進学を志望していたが、父が倒れ断念した。
曲名は「フライディ・チャイナタウン」。テレビ歌うのを見たのは新人賞に「第14回全日本有線放送大賞」でのステージのみだったが、ピアノを弾きながらカン高いトーンで♪It's So Fly-Day Fly-Day CHINA TOWNと歌い出すサビが印象的だ。オリコン最高位69位、100位以内登場19週、売上5.6万枚。歌詞に書かれているように、“Fly-Day”であり、“Fryday”ではない。
今日は金曜日、そして三平の生誕82周年。そして泰葉のデビュー曲が「フライディ・チャイナタウン」。加えて最近は海老名家の話題が豊富だ。長男・泰孝さんは「林家こぶ平」として親しまれたが昨年、林家一門の最高名跡である「林家正蔵」を一昨年3月21日に襲名した。さらに二男の泰助君は再来年春に「林家三平」を襲名することが決まった。
さらに大ニュース。泰葉さんは63年6月に小朝氏と結婚したが、このたび離婚していたことがわかり、11月13日に帝国ホテルで小朝氏、そして林家正蔵、林家いっ平と2人の弟も同席する異例の形で離婚会見を行った。
小朝氏は「めちゃくちゃ仲がいいので、変な感じがする」。泰葉さんは「仕事とおかみさん業が両立できず、仕事をやりたいとお願いすると、いいよといってくれた」と語った。
最後になぞかけを求められた泰葉さんは「はい。この会見とかけまして、泰葉と解きます。その心は小朝(コワサ)知らず」。

このCDの1曲目に収録


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