津軽平野 [1984年4月~6月]
作詞・作曲:吉幾三 編曲:京建輔 '84年3月25日(日)発売 歌:千昌夫
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昨日10月23日は「津軽弁の日」だった。なぜそうなのかはホームページhttp://tsugaruben.jp/をご参照いただきたい。
「津軽平野」は岩手県出身の千昌夫が歌っているが、作詞・作曲は青森県出身の吉幾三。
オリコン最高位49位、100位以内登場42週、売上13.2万枚。「親父」と書いて“おどう”と津軽弁で歌われている。「ストーブ列車」は今でも健在だ。
吉氏が歌うヴァージョンもあるが、こちらはまったく別のメロディーで新しい歌詞が加わっていて、また違う味を出している。
もともと二人はレコード会社も同じで、親交が深かかったが、この曲のヒットをきっかけに、二人の立場が皮肉にも逆転していく。
コミック・ソングとも呼べる昭和52年11月25日のデビュー曲「俺はぜったい!プレスリー」が話題になって以降は鳴りを潜めていた吉氏はこの「津軽平野」でまず曲を提供する立場として、そしてこの曲がまだ100位以内にチャートインしていた59年11月25日にリリースした「俺ら東京さ行ぐだ」のヒットで吉氏はスター街道の道を歩んでいき、62年に「雪國」がオリコン1位になった後、青森に建てられた豪邸は「雪國御殿」と呼ばれ、観光名所になった。
この曲を最後に千氏はヒットに恵まれなくなり、一方で「歌う不動産屋」と呼ばれていたほどの資産家だったが、やがてバブルははじけ、一転して「芸能界の借金王」になっていく。
このCDの10曲目に収録
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